11月25日(土):ミステリバカにクスリなし~『メグレとベンチの男』
冬の兆しが見え始めた10月のある日、繁華街に近い路地で男の刺殺死体が発見される。背中からナイフで刺されて死亡していたのだ。所持品から被害者の身元が判明する。ルイ・トゥーレ、某会社の倉庫係であった。
身元確認に来たルイの妻エミリーはその死体が夫のルイであることを証明した。ただ、夫がそんな黄色い靴を履いているのは見たことがないという。出勤する時は黒い靴を履いていたという。
メグレの捜査が開始されたが、ルイの勤めていた会社は3年前に倒産していた。エミリーのいうところでは、ルイは毎朝弁当を持って出勤し、毎月の給料を持ってくるという。また、同僚たちの証言によると、会社倒産後の数か月はルイは失業中で金に苦労していたということであるが、その後は逆に金回りがよくなったようであった。しかし、ルイがどこかに就職したとは思えず、日中に彼を見かけた者によると、彼はいつもベンチに座っていたという。一体、ルイはどこでどうやって収入を得ているのだろうか。メグレは関係者に当たって生前のルイの生活を再構成していく。
ルイの二重生活、隠されていた方の生活が徐々に明るみになっていくところに興味が尽きない面白さがある。加えて、物語の表舞台に登場することはないのに、それでいて彼の生きた人柄なども明確になってくる。シムノンの筆の運びは相変わらず絶妙だ。
ルイの生活の再構成という軸に、ルイの娘モニクとその恋人アルベールとの関係、並びにトゥーレ一家の確執といった軸、別の管轄所のヌブー刑事とメグレとの齟齬などの軸が交差して物語世界を豊かにする。
モニクは自分の家族にガマンがならず家を出ようと計画している。アルベールと駆け落ちするはずであったが、アルベールは若気の至りからか暴走してしまう。モニクもまた若い故の過ちなどをしてしまうのだが、彼らの関係は破綻する。
ルイの妻でありモニクの母であるエミリーは自分の姉妹たちへのコンプレクスに縛られ続けている。姉妹たちの近所に住み、うだつの上がらないルイをどこか軽蔑する。
ルイの方は、出世欲などが希薄であるようだ。穏やかな性格で、小心な人柄が随所から感じられる。失業したことを妻に言えず、3年間もごまかし続けたり、娘に対する愛情だけは深かったり、同僚たちからも好人物とみられていたりする。それだけに金を得るためにそういうことをする(ここはネタバレになってしまうのでぼかして言うことにする)というのは意外に感じられた。
ベンチに座るルイと一緒にいるところを目撃された痩せた男ことジェフは元は軽業師である。目撃者によるとよく公園のベンチにいるような男だということだが、「なるほど」とどこか納得できる。
かつてのルイの同僚たち、同じ会社に勤めていた人たちもまた忘れがたい印象を残す。年老いた母親と暮らすレオーヌ、半熟卵が一日に唯一の食事であるサンブロンなど、パリの華やかさとは無縁な、貧しく、慎ましく、人畜無害な人たちだ。
その一方で、ルイの二重生活の下宿屋の女主人マリエットや他の下宿人、ジェフの妻など、強欲な人間も登場する。彼らも決して裕福ではないし、幸福でもない。
メグレは一人一人と会っていく。そして一人一人の生活、人生、パーソナリティが描写される。僕はそこにメグレものの魅力を感じている。そこにはさまざまな人がいて、それぞれに生活と人生があり、背景があり、性格がある。一人一人を突き詰めて考えていくと、人間ってそんなに違いはないものだ、という気持ちになる。殺人事件の被害者も犯人も、その他の容疑者や関係者も、みな同じ人間なのだ。彼らは決して幸福でも裕福でもない(メグレものではそういう人物ばかり出てくる)し、幸運からも見放されたような人たちであったりする。僕はそういう人たちに親近感を覚える。
さて、本書の唯我独断的評価だ。推理小説としては凡庸と評価されるかもしれない。また、メグレシリーズでも特に傑作とか名作とかいうわけでもない。それでも僕は面白く本書を読んだ。まあ、3つ星半というところだろうか。
<テキスト>
『メグレとベンチの男』(1953年)ジョルジュ・シムノン著
矢野浩三郎訳 メグレ警視シリーズ15 河出書房
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)