11月24日(木):有島武郎のスケッチ
僕の集めている資料の中に、作家の有島武郎が自殺直前に描いたスケッチが発見されたという新聞記事のコピーがある。かなり以前の京都新聞の記事である。
このスケッチには、有島武郎のイニシャルであるTとAを組み合わせたサインがしてあり、1923年と記されている。そこには一枚の葉も付けていない枯れ木が一本描かれている。研究者によると、この絵は春ごろに書かれたはずであり、実際の木を描いたのであれば葉を付けているのが普通だということである。従って、現実の木ではなく、心象風景を描いたものだと結論している。
この木は、記事の写真で見る限り実際の大きさが分からないのであるが、幹は中程度からやや細めであるようだ。決して太くはない。根元はあまり書き込まれていない。一本の幹から枝が分かれているのだが、いくつかは幹としっかり結びついているが、そうでないものもある。枝の先端は閉じられていない。根元が不安定な上に、伸びる枝は閉められていないという感じである。このことから、どこか土台が脆く、行き先が定まらないという印象を僕は受ける。
幹は若干左側に傾いている。枝や陰影も左側に集中している感じである。無意識の方向に傾斜しているということのようである。このために、意識の世界(外界)へと適応することが困難だったのではないかという印象を僕は受けている。それでも右側へ枝を伸ばしている。ここには再起をかけようという意志の表れを僕は感じているのであるが、それもまた定まらない感じである。
幹には一か所、線が途切れている箇所がある。一本線で描かれておらず、切れ目が生じているのである。ここに僕はなにかしら危機感のようなものを見て取ってしまう。本幹の部分に断絶が生じているからである。
昨日、枯れ木の話を書いて、ふと、この記事のことを思い出したのである。そして、今朝、一番にそれを引っ張り出して眺めているのである。この木は、消滅しそうな生において、最後の生命感情の姿を僕は感じてしまうのである。最後に残る生命感情というものは、こういう姿のものかもしれない。しかし、そのことは、こういう木の姿に根本的な生命感情の姿があるということであるかもしれない。つまり、生命感情の原点のようなものが表されているのかもしれない。僕はそう思うのである。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)