11月23日(金):ここ数日
三連休ということもあって、この週末は仕事がイレギュラーな感じになっている。今日は比較的余裕があったけど、明日がけっこうたいへんだ。
それにしても、今週並びに先週は割と忙しかった。けっこういろんな予定が入り、それなりに仕事も入った。その分、来週が少しヒマになりそうだ。ヒマになるといっても、こういう機会にできるだけ雑多な作業をこなしてしまおうと思う。
体調はあまり良くない。火曜日辺りからまた足の具合が悪くなった。水曜日がピークだったように思う。膝とその他に痛みが走る。昨日までは杖をついていたけど、今日は杖なしでなんとかやっている。杖がなくても大丈夫なんだけど、あった方がラクではある。
あった方がラクっていうのは、駅の人込みで困ることが何度かあった。連休初日ということもあってか、人が多かった。特に京都は紅葉だのなんだのということで特に多かったように感じた。なかでも子供がチョロチョロするのが怖かった。ぶつかってきそうで、ヒヤリとさせられることが何回かあった。
そういう時は杖をついていて、足が悪いんだぞってのをアピールした方がよかったかもしれない。
生活自体は変わりがない。忙しい割りには充実した感じもなく、ただ、次から次へとこなしたという感覚しか残らない。取り掛かっていることを前に進めようとはしているのだけど、思うようには捗っていない。
足が痛くて、行動範囲を制限しているのも関係ある。加えて、わずかな移動でも時間が倍はかかるということ、それでやたらと疲労感を感じることも関係ある。これは冗談ではないし、誇張でもない。すぐそこのものを取りに行くのが億劫になるのだ。それでも足を引きずって取りに行く。戻ってきた時にはけっこうな重労働をしたような気分になる。
この身体にも飽き飽きしているところだ。
そういえば動画広告のことで電話すると業者が言っていたけど、どうやら電話はなかったようだ。多分だけど、あの業者も長くはないかもしれない。だんだんひどくなっているように思えてならない。 業者がなくなれば、このサイトも閉鎖の憂き目をみるかもしれない。最悪の場合のことも考えておかなければ。
酒は飲むこともあれば、飲まない時もありといった感じだ。昨夜は少しばかり飲んでしまったけど。
すごく久しぶりの飲み仲間と会った。最後に会った時、彼は無職中だったけど、その後、どうなったんだろう。昨夜はそこに触れずにおいた。まあ、元気そうでなによりではあった。
先月からレンタルDVDで映画を借りてくるようになった。あれこれいろんな映画を観た。 懐かしくてゴジラ映画を観たところ、これがけっこう面白くて、毎回、必ず一本はゴジラ映画を入れることにしている。
子供のころは映画そのものを楽しんでいたけど、今はけっこう制作側のことを考えて観るようになっている。特に音楽だ。
子供のころにレコードでサントラ盤を持っていた。今でも残っているだろうかと、火曜日に実家を探した。驚いたことにちゃんと残っていた。プレーヤーにかけてみると、ちゃんと聴ける。ライナーはシワクチャなのに、レコードは傷一つなかった。けっこう丁寧に扱っていたのかもしれない。
音楽の話だった。ああいう子供向けの映画の音楽っていうのは、とかく分かりやすいものでなければならないと僕は思う。大人が鑑賞するような複雑で規模の大きい音楽ではいけない。加えて、感情表現や感情喚起も適度なものでなければならないと思う。あまり激しい感情表現は子供にはキツイかもしれない。そう思うと、子供向け映画や番組の音楽もいろんな制限があるのかもしれず、独特の難しさがあるのかもしれない。
それはともかく、僕は伊福部昭さんの音楽は素晴らしいと思っている。僕の中で再評価されている。低音ならびに中音部の動きが特徴的で、ムソルグスキーなんかのロシアの作曲家の管弦楽を聴いているかのような錯覚に陥ることもある。 宮内国郎さんも一作手がけていたのは初めて知った。この人はウルトラマンの音楽も作った人だ。あの「来たぞわれらのウルトラマン」の歌もこの人の手によるものだ。この人の曲はどこか健全な明るさがあって、好感が持てる。
いつかこういう音楽の話もしたいものだ。
音楽は相変わらず聴いている。というか、できるだけ聴くようにしている。少しでも時間が空いたら、デスクワークしながらでも音楽をかけている。音楽を聴いて、何も感じなくなったら僕も終わりだ。それは感情の枯渇を意味するからであり、僕がもっとも恐れる状態だ。
最近はクラシックはほとんど聞いていない。ロックかジャズだ。映画音楽も興味がある。幅広く聞くけど、アルバムをしっかり聞きこむように心がけている、少々飽きがきても繰り返し聞くようにしている。一枚のアルバムを作るのも大勢の人が関わり、けっこうたいへんな作業だと思う。それを思うと、簡単に聞き捨ててはいけないという気持ちになる。
あれは月曜日だったか、久しぶりにユーチューブを開いた。前日のクライアントが子供が動画ばっかり見てるとぼやいていたのもあって、そんなに動画っていいいものなんかねと思い、あれやこれやと見てみた。
そこで音楽を聴くこともできるけど、ああいう聴き方はあまり好きではないな。アルバムを買って、買ったアルバムを大切に聴きたい。無料で簡単に入手したものは、簡単に捨てられるものだ。
9月にも一軒、今月に入ってからも一軒、ロックバーに入った。ロック音楽が流れていていい感じなんだけど、レコードやCDは一枚もない。テレビがあって、ライブ映像やPVが流れていたりする。あれはすべて動画なのだ。僕は一気に興ざめする。昔なら、その手の音楽バーはレコードとかCDが流れていた。店主の好みとかがはっきりわかることもある。レアな、その店でしか聴くことのできないアルバムなんかもあったりする。特に長年続いたというジャズ喫茶なんかにはそういう貴重盤があったりする。わざわざそれを聴きに店に足を運ぶこともあった。もうそういう楽しみもなくなったんだなと寂しい気持ちに襲われた。 動画の話だった。ユーチューブを開くとアホみたいに動画がアップされている。あんなもの長時間は見ていられない。パソコンで見ると疲れるのだ。それにエンドレスでお勧めを流してくる。こういうのにハマったら終わりだなと感じただけだった。 動画を見たのは一日だけだ。ついでに動画広告にも注意して見ていたけど。ああいう広告って真面目には見てもらえないものだと僕は決めつけている。そのせいでかもしれないけど、自分のとこの動画広告は今一つ気合が入らないのだ。
そして、ウッカリ忘れていた。動画を長時間視聴すると、ネット接続が重たくなるのだ。失敗してしまった。すでに接続が重い。あんなもの見るんじゃなかったと今では後悔している始末だ。
さて、最近はブログを書くのも面倒になっている。原稿書き用のパソコンがいかれたことによる脱力感にいまだ苛まれている。公開予定の原稿、未完成の原稿が100本以上取り出せなくなったのだ。書き直す気力もない。 ブログも書こうと思うことはあっても、どうも乗り気になれない。それで何日も空いてしまったわけだ。ここ数日のことを拾い出して、ダラダラと書いている次第である。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)