11月22日:マニックへ

11月22日(日):マニックへ

 

 今日はウッカリしてしまった。朝の人が来ないなと思ったら、その人は明日だった。いつも日曜日の朝に来られる人なので錯覚していた。そうか、世間は三連休なんだ。こういう三連休の場合、土日の人が分散することがあるのだけれど、今回もそうだ。僕がウッカリしていて忘れていたのだった。

 そういうわけで朝は時間が空いた。サイトの原稿でも書こうかと思ったが、書く気になれず断念。そのまま勉強する。思うところがあって矢田部達郎先生の論文集からいくつか論文を読んで朝を過ごす。この本、初期の心理学を学ぶのに適した論文が多数あるので僕は重宝している。

 今、AC者のことに取り組んでいる。彼らのAC理論の扱い方が問題に感じられているんだけれど、何がどう問題であるかということが僕の中であまり明確になっていないし、尚且つ、何か説得的なことが言えるわけでもない。そこで矢田部先生の本に何かヒントとなるような内容のものがないかどうかとめぼしい論文を読んだしだいである。

 あったあった、さすがは矢田部先生だ。要素心理学では個人の自発性を取り上げることができないとのことか、その通りだ。その他、体系的な理論はその理論が体系的であるというだけであって、その理論が体系的に個人を表わしているわけではないのだ。

 午後からは概ね予定の作業をこなした。今日は満点とはいいがたいけれど、そこそこの成績だ。それなりにできたし、悪くなかった。

 毎年、秋ごろには抑うつに苛まれる僕であるが、ようやくそこから逃れ出る兆しが見え始めている。音楽も聴く気がしないくらいだったのが、今日は音楽を聴こうという気になった。

 ハービー・ハンコックの「ヘッド・ハンターズ」だ。久しぶりに聞くけれど、なかなかいいなあ。僕の中では、このアルバムは「カメレオン」だったのだけれど、「スライ」がお目当てになりそうだ。

 続いて、ローリング・ストーンズの「女たち」だ。この時期のストーンズはあまり好きでない。何て言うのか聞きづらい。音のバランスが悪いような気がしてならないのだ。もう少しボーカルが前面に出ていいのにとか、もうちょっとギターソロのラインがはっきり聞こえるといいのにとかって思う個所がいくつもある。曲の良し悪しの前に、音のゴチャゴチャ感があるんだな。僕の中では聴かず嫌いのアルバムなんだけれど、何曲かは好きになれそうでもある。

 最後にジョン・バリーによる「真夜中のカウボーイ」のサントラ盤だ。最近はこれを気に入っている。オープニングの二ルソンの曲が有名だ。二曲目は「007」のようなオーケストレーションがいい。その他、幾人かのシンガーによる曲もなんか魅力的である。

 本は、心理学関係は矢田部先生の本だけになった。その他ミステリの長編と短編をいくつか読んだ。久しぶりによく本を読んだという感じがしている。それに頭によく入っている。つい先日まではあまり読む気にならなかったし、読んでも頭に入らない感じがしていた。今日はいい調子である。

 こうやって書くのも、この前までは億劫さが勝っていたのだけれど、今日はもっと書きたい気持ちになっている。それなら朝のサイト原稿書きをやっておけばよかったのだけれど、原稿の方は今一つ内容がまとまらないので、内容と言うか構成をしっかり練ってから書こうと決めている。

 なんとなく元気が出てきた。元気が出るというのは、要するに、マニックになっているってことなんだけれど、それでも鬱にとってはありがたい。躁病の場合、活動している割には実りがないものである。僕の場合にもそういうことがある。たくさん原稿のメモを作成しても、後から見ると取るに足らない内容のものばかりだったなんてこともある。その時は思考がどんどん働いて、いい内容のものができると浮足立ってしまうのだけれど、それがマニックの怖いところだ。本当は大したことはないのだ。

 僕は僕の躁鬱をどうこうしようという気が無い。これはこれでいいものだ。浮き沈みがある方が生活にもバリエーションが生まれる。沈んでいる時にはいかに自分を休めるかがテーマになるし、浮いている時はいかに活動を意味あるものにしていくかがテーマになる。どちらにも取り組めるのはいいことであるのかもしれない。そして、躁のときの不足を鬱の時に補い、鬱の時の遅れを躁の時に取り返す、それでいいではないか。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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