11月2日:走る

11月2日(水)走る

 

 走れるように体を少しずつ鍛えるようにしている。30日は室内でトレーニングみたいなことをしていて、31日と1日はなるべく歩くようにしていた。まずは歩くということから始めていかなければならないと考えていたからである。1時間から1時間半を続けて歩く、それも幾分速足で歩くということを決めていた。

 昨日(1日)も、夕方歩いた。夜も歩こうと思って外出した。町内や近所を歩いていると、少し走ってみたくなった。体が疼くのである。それで一回、走ってみようと思う。

 僕の家を中心に、3キロのコースが一つ、5キロのコースが一つ、8キロのコースが二つ、10キロのコースが二つある。僕が中学生の頃に父親に測定してもらったのだ。まずは3キロのコースから始めようと思った。

 それもいきなり3キロ走るのではなくて、1キロ走って、中間を歩いて、最後の1キロを走ろうと決めた。1キロずつ走るのである。当分はこれを積み重ねていこうと考えている。

 1キロなんて走ったうちに入らないじゃないかと言われそうだ。確かにそうである。でも、この1キロをきちんと走るということが何にもまして重要なのである。ピアノで言うと、ハノンやツェルニーの練習曲などは、その一曲一曲は、一分にも満たないものである。しかし、演奏時間三十分のピアノ曲を弾くような演奏家でも、初めはこの一分にも満たない練習曲をしっかり弾けるようになるということから始めたはずなのである。それと同じで、僕の場合、まず1キロを走れるようになるということ、それも止まらずに走るということから始め、次に、この1キロのジョギングの質を変えていくということをしなければならないと考えている。

 運動不足の中年がいきなり運動を始めて挫折するのは、初日から多くをやり過ぎるためであると僕は捉えている。若い頃の感覚で始めてはダメなのである。今の体から始めなければならないのである。一日目で潰れては意味がないのである。明日もそれができるというものでなければよろしくないのである。そして、神経症的な人は、しばしばこういう失敗をやらかしてしまうものである。

 それで、昨夜、走ってみてどうだったかということだが、計画通りに走ることができた。体重は以前よりも軽くなったとは言え、脚力は衰えていたので、思うように足は動かなかった。それとタバコで大分やられていたのだろうけれど、呼吸がうまく整わなかった。それでも行き帰りの1キロは途中で止まることなく走った。一応、昨日はそれでよしとしている。この1キロを100回重ねる覚悟でいる。距離を増やすのはそれからである。

 今朝、起きた時、案の定、身体の節々が痛かったが、これは鍛えていけば収まるものであることを経験的に知っているので、当分はこのしんどさが続くだろうと思う。でも、今日は走れないというほどのものではない。この調子で今晩も走るつもりである。それと言うのも、走るのは気持ちがいいということを昨晩は再確認したからである。

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

 

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