11月2日(火):自分の足で
今日は定休日だ。当初の予定ではDVDを返却して、そこから墓参りをしておこうということであった。ところがである、足がたまらなく痛い。両方の足に痛みがある。
昨日もそうだった。父が入院したが、足が痛いので僕は同行しなかった。母が行ってくれた。ともかく、昨日も今日も歩行に困難がある。昨日はそれでも高槻に出て、いくつかの用事を済ませたのだ。ようできたと思う。
今日、取り敢えず返却だけは行っておこう。鎮痛剤を服用する。
鎮痛剤が多少は効くようになった。いいことである。本当に痛い時は鎮痛剤が効かないのである。非常にゆっくりであれば歩けないこともない。とにかく家を出て歩き始める。
レンタル店に到着。けっこう時間がかかったがどうにか到着した。返却し、また借りる。映画を借りても観る時間が確保できるかどうか分からないんだけれど、一応、観たいと思うものは借りておく。観れるだけ観るということにしようと決める。
ここからは帰宅だ。墓参りは中止だ。帰りはバスに乗ろうかとも考える。歩けないのだったらバスも仕方がないが、歩けるのならバスに乗るのは無駄だ。僕は歩く方に決める。
途中、100円ショップに入る。バス代にと確保した200円はうどんで消える。これで8日分の昼食が用意できた。メシなんてそんなんでいいのだ。
再び歩く。少し先のパチンコ屋で休憩だ。一応、家を出てからここまでずっと立ちっぱなし、歩きっぱなしなので、一度休憩を入れておく方がいい。
往復しても5キロくらいの道のりなのだ。片道30分くらいなものだ。休憩なしで往復歩けるのであるが、足のことを考えて、少し休ませてやろうと思うのだ。
パチンコ屋を後にして再び歩きだす。鎮痛剤が効いている間に帰宅したかった。最後の方は少し痛みが復活していたが、なんとか帰宅できた。
帰宅後、借りてきた映画を一本観る。その頃には鎮痛剤の効用も薄れて、かなり痛みが激しくなった。立つことも座ることも一苦労だ。ちょっと歩くのでもきつい。そんなんでよう歩いたなあと母からは言われるが、それは薬が効いていたからでもある。この痛みが人生最初のものであったら耐えられなかっただろう。でも、もう何度もこれを経験しているのだ。今さらダメージでもない。
足が痛かろうとなんだろうと自分の足で歩かなければダメだ。そのために痛み止めを使おうとそれは構わない。大事なことは自分の足で歩くということだ。歩ける距離であれば交通機関は必要ない。どっちみち体はガタがいくものである。最後の最後まで自分の体を使うことが肝心だと僕は思っている。
夜は、あんまり痛いので早めに横になる。立って、ウロウロしているよりかはいい。安静にしていても痛い。次に薬を飲む時間を決めている。夜の間に効いていてもあまり意味がない。朝起きた時に痛みがない方がいい。そのためには服用時間をできるだけ遅らせた方がいい。というわけで、痛い痛いと思いながらも薬を飲まずに過ごす。
こういう時は本でも読んで気を紛らすのがいい。専門書の類はちょっとしんどい、こういう時はミステリが一番である。一冊選んで読みだしたら、今度はそちらに夢中になって、痛みどころか、読むのが止まらなくなった。
その後、もう一本映画を観て、それからミステリの続きを読む。なんだか疲れてきたので布団に潜る予定だ。それで今日の一日が終わりだ。決して悪い一日でもなかったし、無駄な一日でもなかった。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)