11月19日:戦え、店員 

11月19日(火):戦え、店員 

 

 セブンの方でイヤな客がおる。夜勤を始めてから2年になるけれど、その最初のころからちょくちょく来ていた客で、毎回、不愉快な思いを僕に残していく奴だ。 

 そいつは横柄で高圧的な態度を取ってくる。それに店員の人格や人権を無視してかかってくる。さらに小さい迷惑行為をチマチマやらかす奴だ。 

 ある時、こいつは妄想型の精神病だなと思った瞬間があった。とにかく、精神的にまともじゃない奴だと僕は思っている。 

 先日もこいつが来た。いつもの感じだ。僕も黙ってるつもりはない。セブンの方も条件が整い次第辞めるつもりだ。辞める前に奴とは決着をつけたいといった気持もあった。 

 話はその先日のことだ。奴が来た。僕がやったことは単純なことだ。奴の真似をするというだけだ。威圧的な態度を取り、何か言ってきてもはぐらかしたり聞こえないフリをする。話を通じさせない。奴はカンカンに怒りおったが、内心、僕は喜んでいた。 

 あんなふうに怒れば、普通の感覚だと「もうあの店には行かんとこ」となるはずなのに、そうならないのがサイコパスだ。昨夜、また来おった。 

 今度は僕の方から敢えて挑発してやった。怒らせておいて、まともに取り合わない。ひたすらそれだけを試みる。ワーッと言ってきてもしらばくれる。ギャーギャーわめこうと、僕には精神病者の叫びにしか聞こえない。要するに奴はパニックになっているだけなのだ。自分にとって予想だにしなかったことが起きて、それに対して、その場にとどまることも去ることもできず、ジタバタと暴発行動をしているだけにしか僕には見えない。要するに、この程度の挑発で自我機能が破綻しているということだ。 

 人が悪いように聞こえるかもしれないが、僕はそいつがパニックになってわめきまくっているのを面白がって眺めているのである。一方で、ケンカしてくるなら相手になってやるぞと構えてもいた。店長を呼べと何度も言いおる。店長呼んでも何にもならんのだけどこの場で無力に陥った者の常套句である。 

 呼べというなら呼ぶけど、待っとけ、と僕は言う。僕は電話のある事務所に入り、座ってゆっくりする。店長の電話にショートカットでかかる機能があったはずなのに、ありゃ、かからんぞ。防犯カメラのモニターを眺める。奴がイライラしておる。僕の方はゆったりくつろいで、どうやって店長連絡取るか考える。そうだラインから電話をかけようと思い立つ。それで電話はつながった。 

 店長に状況をゆっくり話す。奴をずっと待たせておく作戦だ。事情を店長に話す。店長は少々タチの悪い客くらいにしか思っていないようだ。それもそうだ。実際に奴を見ない限り分からないだろうと思う。 

 店長との会話は6分ほどだった。その前の時間も含めても10分に満たないかと思う。モニターを見ると、奴はいなくなっていた。あれだけ怒っていたのに10分も待てないのだ。そんなものだ。 

 

 全国の店員さんに僕は言いたい。コンビニであれ、スーパーであれ、百貨店であれ、その他の客商売をしている人たちへ、カスハラしてくる奴とは戦え、と。泣き寝入りなんぞしてはいかんぞ。 

 問題はカスハラのグレーゾーンにおるような奴らだ。上記の奴もそうだ。はっきりハラスメントと分かるような行為は見られない。言葉で伝えると、せいぜい、そういう奴もおるくらいにしか伝わらないのである。はっきりハラスメントと認定できるような言動が欠けているからである。決め手に欠けるのである。 

 つまり、ハラスメントであることが明確であると、対応マニュアルがあったり、警察が動いてくれたりするのだけれど、グレーゾーンの奴らの場合、店員が一人で戦わなければならなくなるのである。時には自分の方が悪いとみなされるような事態に陥ってしまうかもしれない。それでもこれは賭けだ。僕は戦う方に賭けたのだ。 

 

 覚えておくといい(と僕が思う)のは、カスハラしてくるような奴はまず精神的に脆弱である。その脆弱を刺激して、突つきまわすようなことをすれば、必ず相手の方が破綻する。ざっくばらんに言えば「治療」と正反対のことを敢えてやるわけだ。そうすると相手の方から壊れてくれるのでこちらはなんの被害も受けないのである。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー 

 

 

 

 

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