11月18日:キッパリ言えない 

11月18日(水):キッパリ言えない 

 

 比較的緩やかなスケジュールの一日だ。儲けは少ないけれど、これくらいのペースで仕事ができればいいと思えるくらいである。 

 

 今日も新規のクライアントが来られた。新しい人と出会うのはこの上ない幸福だと、最近は特にそう感じる。月曜日の新規さんより見込みがある感じだ。ただ、継続していく中で辛くなる場面も生じるだろう。それに耐えられるかどうかが心配である。また、この人の周囲の人間関係が錯綜していて、この人たちが今後どういう風に動いていくかが要注意だ。 

 あまり人のことは書くわけにはいかないけれど、僕も人間関係の中で生きている以上、僕自身の体験を書く場合には、どうしても他者が登場せざるを得ないのだ。できるだけ、彼らの個人的なことは書かず、僕の中で生じていることだけを書くようにしよう。 

 

 夜、スナックの女性につかまる。たまには店に来いという、いつもの話だ。僕はもうその女性に我慢がならないし、彼女の店に行きたいとも思わない。あまりいいお店だとは思わないのだ。騒々しいだけで、寛げるでもなく、愉しめるでもなく、そういう店だ。 

 もっときっぱりと言い切ってもいいのだろうけれど、なかなか本人を目の前にするとキツイことも言い辛いものだ。今後とも彼女に捕まらんようにするのだろうな。 

 

 きっぱり言えないと言えば、今日の夕方頃、一人の女性から電話があった。その女性に対しても、いい加減僕のことを諦めてくれんかいなと思っている。僕は彼女と付き合うつもりはないのだ。正直に言えば、僕が付き合いたくないと思うタイプの人なのだ。彼女から電話とか連絡が入る度に、後で重苦しい気分が僕を満たしていく。 

 

 音楽を聴いている時は、今は一番平和だ。昨日買った3枚を今日も聴く。ケニー・ドーハムが「いいなあ」と思い始めている。後の2枚に関しては、そのうちの何曲かが印象に残り始め、「いいなあ」と思い始めている。 

 

『万霊節の夜』第2章。第3章を読む。 

 第2章はレスターの死後1か月のある日から始まる。妻を亡くしたリチャード(この辺りの描写が良かった)は、友人の画家ジョナサンを訪れる。そのアトリエにジョナサンの婚約者のベティと母親のウォリングフォード夫人も訪れる。ジョナサンは、夫人が信奉しているサイモン師父の絵を描いており、彼はそれを披露する。しかし、その絵を一目見るなり、夫人は激怒し、ジョナサンと娘との婚約も無効にしてしまう。 

 前章と場面がガラリと変わるのだけれど、面白い展開になってきた。夫人の怒りは、いわゆる「自己愛性憤怒」というもので、自分の理想化対象が穢される(ように感じられる)ことが、そのまま自己の毀損へと体験されている。その上、師父に群がる群衆たちに、夫人は自分の中の何かを見るような思いがしてしまったのだろう。夫人はこの絵が受け入れられない。この絵の排除は、その画家の排除へとつながり、娘との婚約も無効にしなければいられなかったのだろう。 

 第3章は、同じくジョナサンのアトリエが舞台である。ベティを失った彼はどうにかこの事態を鎮めたいと思う。そこにサイモン師父が訪れてきた。師父は自分が描かれている絵を見せてほしい(実際はジョナサンに命令している)と頼む。しかし、師父はその絵を見て、よく描けているといい、今後とも自分をモデルにして描いてほしいということを言う。 

 この章で初登場するサイモン師父は、メシアコンプレクスと言おうか、救世主イマーゴと同一視しているたいへん自己愛の肥大した人物に見える。ウォリングフォード夫人とは絶妙のコンビになることだろうと思う。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

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