11月13日:生活の焦点化

11月13日(土):生活の焦点化

 

 今日は予定されていた仕事だけをこなした。サイトに関することは一日お休みすることにした。だから、今日はこのブログだけである。

 その代わり、昨日に引き続き、本をよく読んだ。今日は特定の一冊ではなく、あちこちの文献から論文を読んだ。中には短い論文もあったけれど、今日一日で10数本の論文を読んだ。

 昨日は物欲が減少しているって書いたけれど、よく考えたら知識欲は高揚しているようだ。もっと知りたい。もっと勉強したい。ただし、人間に関する学問だけであるが。自然科学などに関する学問分野にはまったくと言っていいほど興味がない。

 興味、関心その他欲求などは減少しているものの、少数の関心や欲求は以前よりも強くなっているように感じている。たくさんのことをしたくないが、限られたことだけはとことん追求したいという気持ちがある。

 そうなのだ。一つのことに集中しようとすれば、他の多くのものを、一時的にであれ、遮断しなければならないのだ。クライアントたちもそれが難しいのである。一つの問題を考える際に、それだけに焦点を当てて考えてみる、現象学的還元を行うということが難しいのである。他の様々な観念や記憶がそれにまとわりついていて、容易に意識に混入してくるのだ。最初にそれだけを取り上げ、それだけを考えてみる、それを十分にやってからその他の意識内容へと広げていけばいいのであるが、最初から広範囲のものを取り上げすぎるのである。

 それとは少しばかりシチュエーションは違うけれど、僕も自分の生活を焦点化したい。ある一つか二つのことだけに集中するというような生活をしたいのである。その他のことは、徐々に広げていってもいいが、今はそれだけに集中したい。

 

 足が悪いということにも利点がある。健康には悪いけれど、あちこち歩き回る気を失せさせる。外界に対する興味が薄くなる。その分、自分自身に興味や関心が向かう。僕が何を追求したいのか、今どういうことを勉強したいのか、いろんな内面の事物に目を向かわせる。それはそれで良かったことであるようにも思えてくる。

 今日も真っ直ぐ帰宅するつもりだ。宣言解除後も、寄り道をする日もあるけれど、大抵は直帰している。運動がてら歩いてから帰ることもあるし、自宅近くまで帰ってから歩くということもあるが、それは寄り道ではない。帰宅してから運動するのではなく、運動をしてから帰るというだけのことだ。

 先週から悩まされていた足の痛みもかなりましになっている。相変わらず腫れているが、その外観ほどの痛みはない。痛みが先に治まりつつあり、腫れの方もそのうち引いていくだろう。ある程度までは普通に歩ける。今日も少し歩いてから帰ろうかとも思っている。まあ、どうなるか分からないけれど。

 

 人からどう思われようと、僕は僕の人生を生きる。僕は僕のテーマを追求する。そのテーマが時代遅れであろうとなんだろうと構わない。少しでも物事のよく見える人間になりたいのだ。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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