10月8日:呑み屋を後にして

10月8日(火):呑み屋を後にして

 

 今日は定休日だけど、職場に来て、あれやこれやの雑用をこなす。とは言え、あまり捗った感じはしない。

 

 それでも、本はよく読んだ。3冊を並行して読む。

 

 音楽も聴いた。今月はスタン・ケントン楽団に取り組もうと思う。4枚組のCDセットがあり、実はこれはあまり聴いていないということに思い至る。せっかく買ったCDだ。きちんと聞いて、よく内容を理解しておこうと思う。

 スタン・ケントン楽団の曲は、ビートの効いた感じの曲は好きなんだけれど、あまり前衛的すぎるのはとっつきにくいと感じている。ピアノも、オーソドックスな奏法のは聴けるのだけれど、前衛音楽っぽいノリのものは、やっぱりとっつきにくいと感じられている。一応、僕も音楽好きな人間なので、多少の好みはあれど、好き嫌いはできるだけなくしておこう。

 どんな音楽でも、繰り返し聴いているとそれなりに良さが見えてくるものだ。そのアーティストなりミュージシャンなりの音とかスタイルとかに馴染むことが第一だ。それに馴染めると、その人の音楽がよく分かるようになる。と、これは僕の持論だ。だから音楽は曲を聞くのではなく、まずは音とかアレンジとかを意識して聴くのがいい。

 

 酒は飲まない。まあ、家に帰ってからグラス一杯だけ飲んだけど、もうお店では呑まない。

 酔っ払いを見ることに嫌気がさしている。昨夜、ホントにキレそうになったことがある。奴の顔を見るのもイヤだ。

 先月、僕が女性の飲み友達と一緒にそのお店に行ったときのことだ。奴はヘベレケに酔っぱらっていて、彼女にちょっかいを出したのだ。すでに僕はキレそうになっていたのだけれど、このお店では以前も僕はキレているので、自粛したのだ。とにかく、彼女を奴から引き離して、距離を置くようにしたのだ。しかし、酔っ払いというやつは困ったもので、こっちが距離を開けても、向こうから距離を縮めてくるのである。

 結局、彼女は店を出ると言い出したので、僕も一緒に出たのだ。そのお店で呑んでくれていると安くつくのでいいなと思っていた。だから、最後までそのお店で呑む予定だったのだが、奴のおかげで僕の計画さえ丸潰れである。このことは先月このブログで書いたことだったな。

 以後、奴とは顔を合わせることなく過ぎた。それが昨夜バッタリと会ってしまったわけだ。僕は見ていて、こいつはなんも反省しとらんなと見て取り、たいへん胸糞悪く感じたわけである。

 酔っぱらってスケベエになる人もある。それくらいならまだカワイイものである。絡んだりする人は困りものだ。抱き着いたり、キスしたりとか、そういうのは困ったものである。男性でも女性でもそれは同じである。

 女性の酒飲みで、酔っぱらうと男性に抱きついたり、それこそキスしたりといった人もある。僕も二人ばかりそういう人と知り合っている。僕の場合、抱きついてきたら、押し戻す。そして、大人しく飲めと命令する。

 抱きつかれても、キスされても、そんなもの嬉しくもなんともないのである。愛されとるわけでもないからである。ただ、酒の勢いなのだ。素面の時にやってくれるのならまだしも、酔っぱらってそいうことをされても僕は嬉しくもなんともない。

 さて、抱きついたりキスしたり、そういう絡む人よりもさらにタチの悪いのが暴力的になる人だ。特に女性蔑視をやらかす輩には僕は我慢がならないのである。昨夜の奴はそれをやらかした人間である。

 それに、最近、他の女性の飲み知人の話も聞いている。僕はその場にいたわけではないのだけれど、話を聞いているとホンマに腹が立ってくるのだ。そういう話であるわけだ。ある男の人のことなんだけれど、彼女はそれほど深い知り合いというわけでもなく、何度か一緒に飲みに行ったことがあるといった程度の知り合いである。可哀そうに、彼女はその男からボロカスに言われてしまって、その夜は眠れないほどだったと言う。

 

 僕も気づいていない所で人を不快にさせたり、迷惑をかけたりしているだろうと思う。酒の席なんてそういうことがざらにあるものだと思っている。お互いに少々のことは大目に見合い、許し合っている。もちろん、それにも限度ってものがあるんだろうけれど。

 それはさておき、昨夜は実に不快であった。酔っ払いを見るのがイヤになった。当分、呑み屋には顔を出さないでおこう、と、昨夜呑み屋を後にしながらそう決めたのだ。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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