10月7日:苦情を言われても
夜勤明け。さすがに疲れた。昨日は一日中外で活動して、その後の夜勤だ。疲れて当然だが、この疲労感は僕の意図的な気分からもたらされている部分もかなりある。
夜勤に行く前から、今日は夜勤をやる気分じゃないなと信じてしまった。それに、それは半ば意図的に形成された感情だった。夜勤をやろうという積極的な気分に自分を持っていくことができなかったのだ。正確に言うと、そういう努力すら怠っているのだ。
明け方、文句を言う客があった。その文句は当然だ。でも、それをしたのは僕ではないのだ。ただ、店の人間だということだけで、僕が代理で頭を下げただけだ。本当は僕自身、頭を下げる気にもなれなかった。
以前の、高槻で独立する以前の僕だったら、客にそういう苦情は言わせなかっただろう。そういう苦情が来ないようにできる限り注意して働いていたからだ。今はそういう苦情なり文句なりをやたらと受ける。年齢的にも、客からすれば僕がこの店の店長なりオーナーなりに見えることがあるようだ。だから文句は他のバイトではなく、僕に言ってくることが多いようだ。
文句を聞いても、それでどうこうしようという気にはなれない。感情的にも、今はどこか鈍麻していて、あたかも別世界の話のことのように聴いてしまっている。いや、多少は感情もあるな。今日の苦情ではなかったけれど、時にはそういう苦情が来るというのがすごく恥ずかしいと感じられたりもする。
昔なら、そういう苦情や文句が来たら即座に改善を目指すのだけど、今はそういう気にならない。僕も所詮はこの店に雇われている一バイトにしか過ぎない。僕に文句を言っても、上の人に伝達することはできるけれど、改善する力と権力が今の僕にはないわけだ。だから言われた僕も言われっぱなしだし、言った方もその言葉が上に伝わらないまま終わるということになる。だから言うだけ無駄なことでもある。
ああ、それにしても疲れた。ひどく眠い。こんな状態で今日一日もつだろうか。こういう良くないことを先取りして不安を強めてしまうことが良くないのだということは理解できるのだけれど、今は自分の体力や健康状態を信頼できない。それもまた辛いことだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)