10月24日:現代は幸福か
先週から今週は非常に慌ただしい日々を送っている。今晩、夜勤をやって、明日は取り敢えずは休めるという感じだ。
今日は、午前のクライアントを終え、支払を済まし、近所の定食屋にて昼食を採る。ご飯のお代わりが自由という店だ。満腹になるまで食べてやった。
しかし、最近、その手の店が多いなと感じる。ご飯のお代わりが自由だったり、サラダバーとかドリンクバーがあったり、50円追加で大盛りにできたり。また、和食系から中華料理、イタリアンだのフレンチだの、インドやアジア料理だの、各国の料理を食することもできる。ちょっと小腹がすいたとなれば、近所のコンビニなんかに入って購入することもできる。考えてみれば幸せなことだ。
戦後の人たちが夢に描いていたような生活を現在の僕たちは享受していると言えるかもしれない。でも、果たして、僕たちは戦後時代の人たちよりも幸福になっているだろうかと僕は疑問を覚える。当時の人たちの方が幸福だったかもしれない。
当時の人たちにはそれぞれ熱望する何かがあったと思う。また、今以上に自由があったとも思う。今、僕たちには熱望するほどの何か、人生を賭けて追い求めているというようなものがあるだろうか。僕たちは、一見すると自由があるように見えて、どれだけ多くの事柄に縛られているだろうか。携帯電話やインターネットに、僕たちはどれだけ縛られ、隷属していることだろうか。僕たちは本当に生きがいを持って生きているだろうか。主体的に世界の中で生きていると言えるだろうか。
今日、その後はそんなことばかり考えながら仕事をこなした。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)