10月22日:曲を作る

10月22日(水):曲を作る

 今日はさらに動揺感が少ない。だけど集中に欠ける。

 ところで、僕は非常に音楽が好きだ。最近、曲を作りたくてしかたがなかった。音やメロディーが浮かんでくるのだ。でも、それを鍵盤で再現しようとすると、「あれっ、思っていたようなメロディーにならないぞ」ということになる。音感のなさを実感してしまう。
 クライアントと面接していながら、僕は左手でギターのコードを押さえてしまっていることに気づく。無意識的にしてしまうのだ。特にCやAマイナーを押さえているときに気づく。
 どこか、クライアントの話を聞きながら、今はC調だなとか、ここでAマイナーになったなとか、Bマイナーに転調したぞなどとやってしまっているのだ。そして、録音した面接を聞き直す時にも、あの人がAマイナーの時にどういうことを言ったのだっけなと、そんな具合で聞き直してしまう。
 それで最近、曲つくりをしたくてならなくなっている。一つの構想があって、人間の一生をテーマにした曲を作りたいなどと考えている。構想は雄大だけれど、中身はまったく伴っていなくて、実際には小さな曲を連続させるだけのものだ。組曲形式と言えば聞こえはいいけれど、そんな立派なものじゃない。芸術的感性など僕には皆無だなと思っている。
 規模の大きい曲は僕には無理だ。才能がないなとつくづく思ってしまう。そして、小さな曲ばかりできる。それらをライフサイクル順に並べるだけだ。つまり、人生のさまざまな場面の曲を連ねて、誕生から死までの一生を描きたいと思っている。
 もちろん、こんな作品集は誰も耳にすることがない。僕の、完全な、自己満足だ。

 一時期、兄とバンドまがいのことをやっていて、自分たちのオリジナル曲を録音していた。兄は周囲に聴かせて回ったそうで、それなりに評判も良かったと言っていたな。僕はとても人には聴かせられないと思っていた。演奏者は自分の演奏のアラを聴衆以上に気づいてしまうものだ。自分ではひどい演奏だと思っていた。
 僕の自作曲を気に入ってくれたのは、以前お付き合いした女性友達だけだ。彼女は僕の自作曲を嬉しそうに聴いていたな。
 誰にも聴いてもらえなくても構わない。僕は僕の好きになれる音楽を作っていこう。そう決めている

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 作曲などと言うと大げさだけど、今でも曲を作ってみたりする。独りよがりの楽しみである。でも、曲を作りたくなる時、僕は何かを表現したくなっているのだ。
(平成29年2月)

 

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