10月20日:狂気の時代を学ぶ
朝起きて、非常に具合が悪かった。昨夜の夜勤は午前2時頃に終わったのだが、それから明日の準備なんかをして、夕食を採った。それが拙かったのだろう。急激に睡魔に襲われはじめた。3時半頃だ。僕は意を決して2時間だけ寝ようと決める。しかし、5時間も寝てしまった。起きたのは8時半だ。おまけに、体の具合が良くなくて、ひどい目醒めとなった。
昨日は朝早くから用事で出かけ、夕方まで働いてきた。その帰途にて、2時間ほど書き物と勉強をして、20時頃帰宅する。そして21時前には夜勤に出る。それが2時頃に終了したという一日だ。慌ただしい一日だった。
気温も寒くなり、体調を崩しやすい時期だ。気をつけなければと毎年思うのだが、今年の気温低下は急激に来たという感じで、対応が追いつけなかったようだ。
今日もこれから仕事をして、原稿を書き、そのまま夜勤をする。ちなみに、明日もそんな一日だ。
一昨日の朝、夜勤明けのことだ。パートのおばさんから「テレビ見ないのですか」と呆れるような調子で言われた。僕はまったく見ませんと答えると、「テレビ、見てください」と、えらくきつく言われてしまった。はっきり言う。テレビなんて見ている余裕がないのだ。テレビなんて、面白いとも感じないし、それに僕の追及していることの答えがテレビで得られるとは到底思えない。
そのためか、近頃はテレビ嫌いにますます拍車がかかったような感じだ。時間の無駄だし、その場限りのものという感じがしてならない。「倍返しだ!」も「お・も・て・な・し」もすごく遅れて知った次第だ。ドラマも東京五輪もまるで興味が持てないし、関心を抱く気にならない。そこに僕の真実があるようには思えないのだ。
ただ、勉強したい事柄はたくさんある。心理学や精神病理学、実存哲学とかの専門領域、宗教学や社会学なんかの周辺領域もそうだが、作家や芸術家についても勉強したい人がたくさんある。戦争、それも第二次世界大戦の、とりわけナチスとその周辺の事柄についても勉強したいし、中世の魔女裁判についてももっと勉強したい。なぜその時代であるかと言うと、世界大戦とナチス、それに魔女裁判には、目を覆いたくなるような人間の狂気がひしめいているからだ。
狂気を知る一つの方法は、人間が狂気に陥っていた時代を学ぶことだ。現代にも現代の狂気は存在するが、現代の真っただ中にある我々にはその姿が正確に見えないということもある。災難の渦中にある人間は、どんな災難が自分に降りかかっているのかが見えないものだ。だから過ぎた時代の狂気を通して知るということも必要なのだ。狂気の時代において、僕たちと変わらない普通の人たちがどんなふうになっていったかを知る。それは僕たちが狂気に陥った時に、僕たちがどんなふうになってしまうかということの実例でもある。また、僕たちが今狂気のどの段階まで来ているかを知ることの目安というか、一つの手段ともなる。それは忌まわしい過去の記憶ではなく、負の遺産でもない。過去の人たちの貴重な生きた経験であり、僕たちにとって大切な財産なのだ。それをどうして僕たちは活用しないでいられようか。
文学者や芸術家も狂気を生きた人たちが少なくない。それは作品として昇華されている。そういう作品にもっと触れていたいと僕は思うのだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー