10月2日(火):季節の移り変わり
昨日は「走り屋」を何組か見た。彼らが出没すると、秋が来たなと思う。そう言えば、春が来たと思った時も同じようなことを書いたな。爆音を轟かせてバイクに乗って、あれは楽しいものなんかね。楽しいことならやってみたいとも思うのだけれど、乗っている人間が全然楽しそうに見えないので、きっと愉しくはないのだろう。
それはともかく、秋が来たなと感じることが増えている。いいことだ。季節が変わるということは。そして季節の移り変わりを感じるということも素晴らしいことだ。僕はそう思う。
余談だが、季節性のうつ病というものがある。秋は特に危険なシーズンだ。でも、「うつ病」の人は、秋に限らず、季節の移り変わりに苦痛を感じることも多い。外側の変化がとても影響してしまうのだろうね。だから季節の移り変わりをそのまま感じ取れるということは、僕にはとても大切なことのように思える。
読書の秋っていうわけでもないのだけれど、最近はよく本が読める。まあ、僕の場合は季節に関係なく本を読んでいるのだけど。そうして読んだ本をブログに書いて行こうと思っている。既に先週から読んできた4冊分を仕上げている。随時公開していこう。誰も読みたいと思わない、僕の個人的な読書感想文だ。まあ、これもブログのネタ作りのためだ。
ブログをやっていて意外なこともある。業者が月ごとにデータを送ってくれるのだけれど、8月分のデータで、5月頃書いたブログが閲覧の上位に来ていたりするのだ。それも「おじさんにナンパされた」分が上がっていたので、僕はびっくりした。一体、誰があんなのを読むのかねと思った。
あの話を僕は知り合いなんかにも話したことがある。「怖くないか」と言われたこともある。男性同性愛者にナンパされても怖くはない。僕にはそういう趣味がないからナンパされても断るだけなんだけれど、彼らに声を掛けられても怖いとは思わない。相手が見ず知らずの人であってもそうだ。と言うのは、男性同性愛者というのは女性を断念している人たちのことだ。女性を断念しているということは、言い換えると、男性と競争しないということだ。男性と競争しないということは、彼らは男性に対して敵対視することがないということなのだ。だから男性とは良好な関係を築こうとするだろう。僕にそういうことが分かっているから、怖くないというだけのことなのだ。何も難しいことではない。
あのブログを読んだ人たちは、一体なにを期待して読んだのかな、どういうことを知りたいと思って読んだのかな、僕はそこが知りたいと思っている。
ああ、それにしても、今日もまた内容のない下らないブログを書いているな。僕がもっと面白い人間だったらと、そう思う時も多々ある。打てば響くような人間になりたいとは思うのだけれど、打たれてもよう響かなかったり、打ってもいないのに勝手に響いたりしていることもよくあるな。なかなか思うようにはいかないものだ。自分自身のことなのに、思うようにいかないっていうのは、本当にもどかしいね。
今日も一日、こういう自分と僕は付き合っていかないといけないんだな。僕も含めて、ある人がその人自身であるっていうのは、ほとんど運命のようなものかもしれない。外側の季節が自分に関係なく移り変わり、その移り変わりに影響を受けることが避けられないのと同じように。そう思うことも僕にはある。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)