10月19日:酒の話(3)

10月19日(水)酒の話(3)

 

 お笑い芸人の小島よしおさんが「そんなの関係ねぇ」でブレイクした年、僕はいくつかの飲み屋で「小島よしおもどき」を目撃した。僕は基本的に一人で飲むのであるが、奥の座敷などで団体客がいると、その中に必ず「小島よしおもどき」の人を見かけたものである。中にはその日のためにわざわざ海パンを用意したのだろうかと思うような人もいた。

 そもそも飲み会の席で、どうしてお笑い芸人のネタをやりたがるのか、僕には不思議だった。「もどき」がいくら真似をしても「本家」には敵わないだろうにと思うのである。それでも「もどき」がネタをやって、その場でけっこうウケていたりすると、傍から見ていて「うーむ、愉しそうだ」と思ったのも事実である。

 酒の席が愉しかった時代が僕にもあった。それはわずかの期間だったけれど、確かにあった。大学に入ってからしばらく、僕はコンパとかの類に顔を出すのが嫌で避けていた。どうもああいう賑やかな場所というのは苦手だった。それは今でもそうなのであるが。それがある時、どうしても出てくれと頼まれたので、しぶしぶコンパに顔を出した。そうしたら、それがけっこう面白いのだ。それからはコンパの類には顔を出すようになった。僕の酒飲み期間において、愉しい酒を飲んでいたのは、その時期だけである。

 しかし、大学というのは時に残酷なものでもあって、うかうかしていると瞬く間に孤立してしまうのである。気がつくと、僕は独りだった。初めて一人で酒を飲み歩いた時、僕がしたことは象徴的だった。僕は、かつてコンパで訪れた居酒屋を巡ったのである。飲みながら、あの時はあそこの席で飲んでいたなとか、愉しかったななどと思い出に耽るのである。そういう飲み方から始まったのである。

 一人で飲み歩くことへの抵抗感はすぐになくなった。そして、一人で飲んで楽しむようになったのである。その愉しみは、必ずしも心の底から愉しいと感じていたものではなかったと今では理解している。

 僕が大学生だった頃は、とにかく「酒くらいは飲めなアカン」とまで言われたものだった。社会に出ると、そういう酒の席というのが避けられないし、接待などがあったので、酒の席に馴染んでおくということは必要なことだと考えられていた。

 酒を飲んで分かったことは、僕はけっこう酒に強いということだった。僕自身はそうは思わないのだけど、周囲の人たちに言わせるとそうだった。最初の頃は、基本的にビールは飲まなかった。ビールは「薄い」飲み物だった。それにお腹ばかり膨れて、しんどくなることも嫌だった。ビールを飲むようになったのは二十代後半からだ。それまではもっぱら洋酒だった。ウィスキー、ブランデー、それにカクテルだった。酎ハイなどはチェイサー代わりに飲むものだった。洋酒の飲み方はストレートかロックで、水割りというのは信じられなかった。許せるのはジャストウォーター(酒と水が五分五分)までだった。

 とにかくキツイ酒を飲む。アルコール度数98度のウォッカで「スピリタス」というのがある。罰ゲームなどで一気飲みさせられるのだが、飲んで「旨い」と言ったのは珍しいと店の人に言われた。しかし、「スピリタス」は僕に言わせると芸がないのである。工夫が足りないのである。ラムの「ロンリコ151」(アルコール度数が75度ほどある)の方を好んで飲んでいた。とにかく、ストレートかロックでないと、酒の味が分からないなどと言っていたのである。

 それと、本当の酒飲みというのは甘党なのである。僕はそれがよく分かる。饅頭などの和菓子と日本酒(特に冷酒)の組み合わせは最高だなどと言っていたものだ。辛いものは舌がバカになって、酒の味が分からなくなるので嫌だった。逆に甘いものは、酒の味が引き立つのである。居酒屋でデザートメニューのアイスクリームばかり注文して、それをアテに飲んだこともある。思えば、僕は相当の酒飲みだったのである。

 ただ、僕はどれだけ酔っぱらっても、あまり羽目を外すということはなかった。これはよく周りからも言われたもので、酔ってもあまり変わらないのである。「ようそんな落ち着いて飲めますね」などと言われたこともある。間違っても、僕は海パン一丁になって「そんなの関係ねぇ」などとやったりはしないのである。酔っぱらっても、僕はバカになれなかったのだ。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

 

 

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