10月16日(日):酒の話(1)
酒を止めて丸9か月が過ぎた。今、10か月目である。断酒は順調に進んでいる。
高槻にはたくさんの飲み屋がある。それで高槻で飲み屋をやると儲かると勘違いする人も多いのかもしれない。実際は矢継ぎ早に店ができては、すぐに畳むのである。これから飲み屋をやろうという人に忠告したいのであるが、店を出すなら高槻では出さない方がいいと僕は思っている。
飲み屋で飲んでいると、隣の席の人と意気投合して仲良くなったりする。そして「また、一緒に飲みましょう」などと言って別れる。これが梅田辺りの飲み屋だと、その人と再び会う確率は非常に少ない(僕の個人的経験です)。大勢の人が常に流れているからである。ところが、高槻では必ずどこかでその人と会うのである。ひどい時には、別れた直後に、二軒目で会ったりする。「なんや、あんたも梯子かいな」などと言って、二軒目でまた仲良く飲んだりする。高槻はそれが面白いと僕は思っていた。
このことは、結局のところ、一定の数の人が、限られた地域内の飲み屋をグルグル回っているだけのことである。高槻で飲み屋はやらない方がいいという訳はそこにある。結局、酒飲みの数は一定であるのだから、店が儲かるためには酒飲み人口がもっと増えなければならないということになる。酒飲み人口が増えるということは、つまり、高槻全体の人口がもっと増えるということである。それが高槻で飲み屋をやっていくために必要な条件である。ただし、今の所、人口が急激に増えるという兆しはなさそうである。
高槻では、飲み屋で知り合った人と再びどこかの店で顔を合わせることになり、それが面白いと感じていたのだけれど、このことはよく考えてみれば、会いたくない人とも再び顔を合わせることにもなるのだ。僕はこのことをすっかり見落としていた。一度、ケンカでもしようものなら、次に会った時もお互い険悪なムードの中で飲まなければならなくなる。たいへん面倒なことである。
それはともかく、酒の席で、いろんな職種の人と出会うことはできたし、そのうちの何人かとはすごく息が合った。彼らから学んだこともたくさんあった。今、酒を止めてからというもの、僕はいかにして彼らに出会わないようにするかで頭を悩ましている。危険地帯や危険ストリートが僕の中ではある。従って、主に夜のことだが、ものすごく迂回して駅まで行ったりしなければならない。会うと必ず、飲みに連れられてしまうからだ。しかし、これだから高槻は困った所なのだが、会いたくなくても、やはり繰り返し彼らを見かけてしまうのだ。いかにして逃げるかをそういう時は真っ先に考える。
高槻で飲み歩いていた頃は、たくさんの「問題飲酒者」と出会ったものである。アルコールに関しては「アルコール中毒」「アルコール依存」「問題飲酒」というように分けるのであるが、僕の知り合った人の大半は、「アルコール依存」まではいかなくとも、「問題飲酒」の人だった。
酔っぱらいのしょうもないケンカに、ゲロ吐き、失禁、道端での雑魚寝、いろんな物を見てきた。人の金で飲もうとする連中もいたし、金を払わずに飲み逃げする人もいた。大人の恥部を見るような思いがする。「俺はああはならんぞ」などと、彼らを見て優越感に浸ってみたところで、結局、酒を飲んでいる限り、僕も彼らと同類なのだ。
今、つくづく思うのは、酒を止めて正解だったということだ。飲酒欲求もほとんどない。思えば、酒を飲むことの良さと、酒を止めることの良さの両方を体験している僕は、とても幸運なのかもしれない。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
あれからまた飲酒を再開している。もう一度断酒しようかとも最近は思う。こういう一文を読んで、断酒時代のことを思い出してみるのもいいかもしれないな。
(平成25年6月)