10月12日:パフェ友第1号を思い出す

10月12日(月):パフェ友第1号を思い出す

 

 今日は新規のクライアントとお会いすることができた。どんな人が来るのかと、実は昨日は気になって仕方がなかったのだ。若い娘さんのようだということしか分かっていない。若い娘さんか、僕の一番苦手とする人たちだ。

 しかし、まあ、会ってみると、とても感じのいい人だった。この人とだったらカウンセリングやっていけそうだなという気持ちにもなった。また来てほしいと思っている。

 来てほしいとは思っているものの、彼女にはカウンセリングはまだちょっと荷が重いかな。そういう心配もある。まあ、いつか二回目が実現することを祈っておこう。

 

 この女性クライアント、そうか、僕の昔の友達に雰囲気が似ているな。後から気づいた。僕が20代後半の時期に友達付き合いした女性で、僕の中では「パフェ友第1号」と呼んでいる女性友達だ。

 パフェ友第1号とは、ある研修で一緒になった人だ。僕より一つ年上だったように記憶している。子どもの頃は何して遊んでたのと僕が尋ねると、爪を剥がして遊んでたと答える、なかなか素敵な女性だった。

 一緒に並んで歩く時は彼女の右側を歩かなければならない。彼女はそういうことも要求した。だから僕はいつも彼女の右横に並んでいた。ある時、梅田の地下街でのことだ。人ごみを利用して、それとなく彼女の左側に回ってみた。なんてことはない。何事もなかったかのように彼女はお喋り続けていた。僕が何かおかしくないって訊いたら、そこで初めて気がついて、いつもの並びに戻ったのだったな。

 一緒にパフェを食べるようになったのはどうしてだったかな。僕は喫茶店なんかに入るといつもコーヒーを飲むんだけれど、たまにパフェとか食べたいと思うのだな。しかし、男一人でパフェを食べるというのも何となく恥ずかしい。一緒にパフェを食べてくれる人でもいたらなあと思っていた。

 彼女はそのパフェ友第1号だ。研修を終えて、一緒に帰る途中でよく一緒にパフェを食したものだ。今となっては楽しい思い出だ。

 研修も終わり、だんだん彼女とも会う機会がなくなってきた。小さなお店をやるのが夢だと可愛らしいことも言ってたな。家庭環境が複雑で、その後、彼女の名字が変わったことがあったな。出身は九州の方だったと記憶している。

 パフェ友第1号さん、彼女も今はどうしているかな。彼女も50歳になるのか。僕のことなんか覚えているだろうか。まあ、僕のことはいいとしても、彼女がどこかで幸せになっていてくれてたらいいな。

 

 その後、といってもそれよりずっと後なんだけれど、パフェ友第2号ができた。友達のYさんだ。彼女もイギリスに行ってしまったしな。

 今のところ、パフェ友第3号は生まれていない。第3号はもう生まれないかもしれないな。楽しい思い出は楽しい思い出として残しておこうか。

 

 しかし、まあ、今日のクライアントさんと会ってパフェ友第1号を思い出すなんて、我ながら不甲斐ない話だ。もっとクライアントさんのことを考えないといけないのにね。

 今日のクライアントさん、次は来てくれるかな。今後どうなるだろう。母親のペースで、あるいは母親の感情でドクターショッピングやらカウンセラー巡りやらをするようになるかもしれないな。クライアントさんにとっては災難なことだ。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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