10月1日(土):足の痛み
昨日の足の持病が今日も続いている。ただし、今日は昨日よりかは痛みがましである。このまま鎮まっていけばいいと願っている。
昨日は朝から痛みを感じていたが、午後からひどくなっていった。じっとしていてもズキズキと痛みを感じていた。そのためにタバコの本数も増えてしまった。というのは、タバコを吸うと、痛みを感じる度合いがましになるような感覚があるからである。
この痛みはこれまで幾度となく経験したことである。大抵は2,3日で鎮まる。無理をしたり、足を使い過ぎた翌日になることが多い。
痛みが生じると、僕は自分がいかに早く歩いているかということを再確認する。これは実際に道路を歩く時だけではなくて、生き方や生活の姿勢においてもそれを再確認する。つまり、足が痛くなって、思うように歩けなくて、動作がゆっくりになって初めて、僕がいかに飛ばし過ぎているかを知るのである。知らず知らずのうちにスピード違反しているようなものである。そこで痛みが生じる度に、自分を改めようと思うのだ。もちろん、思うだけで、実際には改まっていないということなのだけど。
足が痛むことによって、発見することも多々ある。例えば、周囲の人は意外に冷たいということも感じるし、杖をついているかどうかで周囲の反応がかなり違うものだということも発見した。昨日は杖なしで過ごしたけれど、杖をついていると、電車でも席を譲ってくれたりする。しかし、杖をついてなくて、ただびっこをひいているというだけでは、案外譲ってくれないものである。見た目ということも大きいようだ。
駅にはエレベーターやエスカレーターが設置されているが、これが案外不便な場所に設置されているということも発見した。改札から離れていたり、ホームを移動する際に、かなり歩かなければならなかったりする。便利なように見えていても、身体障碍者目線では作られていないのだなということを認識したりする。
足が痛むと、当然、足を引きずるようになる。そうなると、普段気づかずに歩いている所が、意外と段差や傾斜に満ちているということを知る。道路などでは、工事などで掘り返した跡がある。もっと水平にならしておいてくれればいいのに、けっこうデコボコのままになっている箇所もある。足の痛みさえなければ、こういうデコボコに困らされることもないが、足が痛むと、そうした箇所で躓いたりするのである。僕がドンくさいだけなのかもしれないし、普段の癖でこれくらいは何ということもないだろうと思ってしまっているのもあるだろう。それに、デコボコを避ければいいだけのことである。とは言え、やはりもう少し水平にならしておいてくれればいいのにと思ってしまうのである。
いろいろな発見があった。それは機会があれば紹介してもいいと思っている。そして、いろんな発見をすることに楽しみを感じている自分をも発見する。痛みは厄介なものだけど、けっこう、この状況を楽しんでいるのである。
昨日の発見は、杖の有無ということともう一つある。夕べ、駅のエレベーターで車椅子の女性と一緒になった。妙に親近感を覚えた。同じような不便さを感じているかもしれないし、僕以上にその不便さや苦悩を体験しているだろうと思う。そして、もっと発見していることがあるだろうと思う。そう思うとこの車椅子の女性に対して、仲間意識だけでなく、尊敬するような気持ちまで生じている自分を発見する。これもまた、今回の新発見である。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)
(付記)
怪我をして初めて分かることもあるなと思う。こういう文章を残しておくと、「ああ、あの時こういうことを考えていたのか」とかを思い出す。怪我が治ると、人は案外そこで学んだことをすぐに忘れてしまうのだなということも分かる。時には読み直して、記憶を新たにする必要があるな。
(平成25年6月)