1月9日:コロナ禍を生きる~比較論

1月9日(土):コロナ禍を生きる(2)~比較論

 

 大阪府は独自に宣言を出すそうだ。おそらく首都圏でやっているのと類似の内容のものが出されるだろう。僕は行きつけの呑み屋に行って、君の所はどうするのかと尋ねた。彼の答えは、補償がもらえれば休む、貰えなければ開けるとのこと。きわめて実直な意見である。

 要するにどうなるかは分からんということなんだけれど、もし休業したらしばらくは会うこともないだろうから、少しだけ飲んでいく。

 すると、そこに近所の呑み屋の店主が来た。彼も時々この店に飲みに来る。この店主ときたら、文句たらたらで、僕は隣で聴いていてウンザリした。彼の言うところでは飲食店ばかり叩かれるということであったが、それは違うぞ。マスクもつけずに出歩いて、マスクもせずに長々と話すその行為が叩かれてるんだぞ。どこの誰かを言うとゴチャゴチャ書き立てる人も出てくるだろうから明かさないけど、彼はマスク着用せず出歩き、マスクせずに呑み屋に入り、手の消毒もせず、マスクなしで延々としゃべり続けたのだ。

 

 まあ、その彼の話はどうでもいいのだ。彼の認識には、いわゆる認知的不協和があるということなんだけれど、そんなこともどうでもいい。

 彼の話の中で、いわばコロナで騒ぎすぎだというニュアンスのものがあった。その根拠は、これまたお決まりの理屈なんだけれど、インフルエンザで死ぬ人の方がコロナよりも多いからだと。インフルの時はそんな宣言を出したか、と。そんな理屈である。

 正直に僕の思うところを申し上げよう。その理屈を出す人は知的レベルがかなり低い。

 まず、この理屈は本来比較できるものを比較しているかという疑問がある上に、その比較によって何が分かるのかということが明確にされていないのである。一体何の比較をしていることになるだろうか。

 まず、死者数である。両者の比較の根拠はそこだけである。インフルの方が死者数が多い。それは過去のデータを見れば確かにそうであろう。この思考の根底には、死者数の多さ=重病という認識があるのではないかと思う。致死率の高さと難病とは必ずしも相関しないものである。致死率が低くても難病であるものもある。致死率が低くても重症の病気というものはある。そこを見落としているようだ。

 重症化すれば、インフルでも死に至るし、コロナでも死に至る。それで両者を並列することができるかと言えば、そうも言えない。同じように死に至ってしまうとしても、その死に方に違いがある。コロナは急死するのだ。重症化をすっ飛ばして死に至ることもある。先日亡くなった議員さんもそうだ。さっきまで普通に会話していた人が、次の瞬間には死んでいたという話だ。コロナではそういう死に方をすることもあるのだが、これはインフルでは見られないことではないだろうか。

 従って、まったく性質の異なるものを同じ土俵で比較しているようなものだ。あの理屈の難点はそこにある。比較できないものを比較しているのだ。

 確かに、コロナで死ぬ人(これをxとしよう)もあれば、コロナ以外の病気で死ぬ人(これをyとしよう)もある。その関係はx<yとなるはずである。x<yの関係であるからといって、xが価値が低いとか大したことは無いとかいう判断はできない。

 しかし、先の理屈の信奉者は次の事実を見逃している。x<yの関係は確かに僕も認めよう。コロナで死ぬ人よりもインフル等で死ぬ人の数は多い。しかし、これは決して逆にならないものであるかもしれない、その点を彼らは忘れている。つまり、x<yの関係はそのまま続くものであり、x>yになることはない(そうなったらもっとたいへんだ)のだ。

 今の話はどういうことかと言うと、xが増えればそれだけyも増えるということなのだ。コロナで死ぬ人が増えれば増えるほど、コロナ以外の病気等で死ぬ人の数も多くなるのだ。これが医療崩壊と呼ばれているものである。僕はそう思っているのだけれど、違うのだろうか。仮にコロナ死者数が1万人として、インフル等での死者数が3万人としよう。コロナ死者数が10万人に達する時には、インフル等での死者数が30万人になっているかもしれない。こんなふうにきれいに等倍するとは言えないけれど、医療崩壊の原理はそういうことではないだろうか。従って、コロナとその他のインフル等と、どちらが重大であるかなんてことは言えないのだ。相互関連しているものなのだ。

 

 しかし、まあ、飲食店の時短営業なんてどれほどの意味があるのか分からないものだ。それを最大限に効果的にするには、もっと他のこともたくさんしなければならないようにも思う。アベノマスク、ゴートゥーキャンペーンに次ぐ愚策だと僕は思っている。尚悪いことに愚の程度がだんだんひどくなっているように思えているのだ。

 いっそのことロックダウンすればいいのだ。2週間だけでもそれをしたら状況はかなり回復するだろう。もちろん、それ以後も感染者数は増えるだろうけれど、一時的にも新たな感染者を出さないようにすれば、医療も助かるはずである。

 それができないのは政府に金が無いからなのだ。ゴートゥーなんかで予算を使い果たしたためである。状況に応じてロックダウンして、その都度、国民に10万円でも補償すればよいのだ。感染者の増加を一時的にでも抑え込んで、ウイルスの活動が低下し始める春まで持ち堪えればいいのだ。一か月経済活動をして、二週間ロックダウンして、また一か月ほど経済活動をして、またロックダウンする。それでもいいではないかと僕は思う。根本的な部分は何も変わらなかったとしても、冬の間に2回くらい冬休みを取るだけのことじゃないか。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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