1月8日:気にかかる

1月8日(土):気にかかる

 

 今日来られたクライアントさんのことがずっと気にかかっている。何かが引っかかってるのだけれど、それが何なのかハッキリしないのがもどかしい。面接は無難にこなしたとは思う。あまり強い刺激を与えないように気をつけていたが、どこまで上手くいったことだろう。

 いや、そうじゃない。面接の内容ではないのだ。気にかかっているところはそこではないのだ。あのクライアントさんの何かなのだ。

 

 面接後、ずっとそれを考えてきた。何となく見えてきた部分もある。

 刺激と反応という言葉を使おう。人は常に刺激にさらされている。外的な出来事はそれ自体刺激となって主体に反応をもたらす。それと同じように内的刺激と呼べるものもある。記憶想起であるとか、感情であるとか、思考であるとか、そうしたものが刺激となることもある。外的刺激に刺激されて内的刺激が誘発される部分もあるのだが、この内的刺激もまた主体の反応を誘発する。

 要するに、人は外的刺激に対しても内的刺激に対しても、何らかの反応を起こすということである。この時、外的刺激に対する反応は第三者には分かりやすいものとなる。外的な出来事によってこの人はこういう反応をしたのだなという判断をすることも可能となる。しかしながら内的刺激における反応となると第三者には、あるいは外側からは、理解できないことが多い。

 そうなのだ、このクライアントさんが内的刺激に対してどのような反応をしてしまうかが見えないことが引っかかっているのだ。内的刺激に対して強いか弱いかということも判断できない。もし内的刺激に対してあまりに無力であれば、その人は外観上は衝動的な人間にみえることだろうと思う。このクライアントさんがそうというわけではないのだけれど、内的刺激に対してどこまで強いだろうか、どこまで耐えることができるだろうかという一抹の不安を覚えている。

 では、この人の内的刺激に対する反応をどこで気にするようになったのかというと、僕はそこがまだ明確にできていない。面接の録音を聞き直してみなければならない。ともかく、それが気になっており、気になっているところは明確化していかないといけない。

 

 それはともかくとして、一人のクライアントと面接するだけでも僕の中に多くのものが生まれる。それを明確化しておくと、今後、その人との面接がやりやすくなる。あまりいい表現ではないけれど、今後の面接がラクになるということだ。

 先日からIT屋に文句ばかり言っているけれど、彼らは簡単に集客ということを言いすぎるから腹立たしいのだ。一人のクライアントと面接すること、一人のクライアントを抱えることがどれだけ困難多いものであるか、当然と言えば当然だけれど、そこを何も知らずに軽々しく集客ということを言い出すから腹が立つわけだ。

 まあ、なにはともあれ、僕は僕に課せられた仕事と課題に取り組んでいく。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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