1月6日:ダウンするわけにはいかず 

1月6日(土):ダウンするわけにはいかず 

 

 昨日はきつかった。深夜勤務を終えて、高槻で仕事をして、その後でまた深夜勤務してと、一日ほとんど寝る間もなかった。おまけに昨夜から今朝にかけての深夜勤務がとてもしんどかった。足に来ていて、最後の方は痛くてしょうがなかった。一晩に二度、鎮痛剤を服用することになった。 

 今朝、その後で帰宅して、食事をとったのだ。そこまでは覚えている。椅子に座ったまま寝てしまったのだけれど、寝たという意識がない。知らない間に寝ていたという感じだ。そこから起きたのは覚えている。こんなところで寝てはいけないと思ったのは記憶にある。ただ、椅子から立ち上がって、そのまま床に寝転んでしまった。どうにもしんどかった。 

 父が「順司はなんでこんなところで寝てるんだ」とか言って、母が「さあ、さっきも椅子に座ったまま寝てたで」などと応じている。両親がそういう会話をしていたのを朧げに覚えている。 

 それから、一応は起きたのだ。でも、何もする気力がない。ぼんやりして過ごす。ぼんやりしながらも、こんなことをしていると時間の無駄だという意識はあった。体がいうことをきかない感じだ。 

 居間ではテレビがついている。何気なく見ているものの、目がしょぼつく。涙がポロポロ出てくる。これは花粉症だろうか。鼻水も流水のごとく流れてくる。 

 

 ニュースはもっぱら地震のことばかりだ。死者が100人を超えたとか。一人一人の死があり、一人一人の故人には遺族があり、それぞれの思いもあるだろう。記録にされてしまうとこうも人間味が失われるのか、と改めて思う。 

 記録とはそういうものだと思う。カウンセリングとか臨床の記録もそれは同じである。面接をしても、以前ほど詳細な記録を残さなくなった一因にそれがある。記録にした途端に、クライアントが人間ではなくなってしまう感じがしてしまう。対象物の存在に貶めているような感覚を覚える。 

 それはさておくとしても、報道されるのは被災状況であったり、被災者のことであったりする。たまに民間の企業や団体が被災地域に支援物資を送ったとかいったことも耳にする。ただ、政府がどうしたとかいう話は一向に聞こえてこないのはどうしたわけだろう。自衛隊を派遣しました、それでお終いということか。 

 確かに、地震から一週間だ。まだ余震も続いている状況だ。手を打つには早いのかもしれない。それでも、仮設住宅をここに作るとか、県外に避難したい人のために輸送手段を講じるとか、交通が遮断されて陸の孤島と化した地域にはこういう方法で物資を送るとか、そういう人たちを避難所まで運搬する方法とか、いろいろあるだろうに、なんら耳に入ってこないのである。 

 多分、これはどの人も共通するだろうと僕は思っているのだけれど、僕たちは嫌いだった人を好きになることがある。相手への感情や評価が変わることがあるわけだ。嫌な奴と思っていたのに、それが良い奴だなに変わるのである。その契機となる体験があり、その体験はみな共通だと僕は思っている次第である。 

 その体験とは何かということだが、それは危機の時にその人が自分を救ってくれたという体験である。非常に苦しい時にその人が援助してくれたという体験である。そういう体験をするとその相手への評価が変わるわけである。 

 僕はそう思うので、政府はバカである。ここで全力をあげて被災者たちを救えば、少なくとも被災者たちはその政党を好きになるのに。好きになるまでは行かなくても、何らかの形で評価が変わるだろうと思う。また、直接被災したわけでなくても、政府のそういう動きを再評価する人も現れるだろう。人のために尽くせば人から評価されるものである。 

 ところが、政治関係で聞こえてくる話と言えば「裏金」のことばかりである。あれこそ政治家が自分たちのことしか考えていないことの象徴ではないか。ホント、今の政治家には辟易する。 

 

 さて、僕の今日一日のことに戻ろう。 

 昼頃には起きて、漫然とテレビを観ていた。他に何もする気力がなかったからである。 

 午後から、今度は布団にもぐりこんだ。朝のうちにあれだけ寝たので、もう寝れないだろうと思いきや、速やかに睡眠に陥った。そして夜まで起きなかった。今日一日で10時間くらい寝たんじゃないかな。こんなに寝たのは久しぶりという感じだ。足の具合も、まだ痛みは残っているものの、だいぶん回復している。やはり疲労と関係していたのか。 

 ともあれ、今日も深夜勤務に赴く。年末から深夜勤務13連勤の折り返し点だ。まだまだダウンするわけにはいかない。自分にムチ打って仕事をするのみだ。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

  

 

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