1月5日(水):仕事始め
今日から仕事始めとなる。初日から仕事が入っているというのは幸先のいい予感だ。
面接は無難にこなす。この無難ということがとても大切だ。特別なことや特殊なことがそこで何も生じないということである。
宮内勝先生は面接を「決める面接」と「流す面接」と呼んでおられる(『精神療法の実際』より)のだけれど、実にうまい表現だと思う。宮内先生と面識があるわけでもないのに、僕はその呼称だけ拝借しているという不届き者である。
それはさておき、「決める面接」とはその名の通り何かを決める面接である。あるいはなんらかの方向付けを行ったり、時には「対決」する面接である。「流す面接」というのは、現状維持をサポートする面接である。昨日書いたような苦難の状況に留まるというのは、流す面接でのテーマになるわけだ。もちろん、呼称だけ拝借しているけれど、意味は宮内先生の言っていることと多少異なるだろうと思う。
一回の面接には両者が含まれる。決める面接の時にも流す部分があり、流す面接の時でも決める部分がある。決めるか流すか、どちらかがメインになるとは言え、両方の要素が一回の面接には含まれるものである。
クライアントは、一般的に言って、「決める面接」だけを求める。そういう傾向がある。「流す面接」の意義をあまり理解しておられないことが多いように思う。流す面接は、決める面接の基礎になるところである。言い換えれば、流す面接があるからこそ、決める面接が可能となるのである。僕はそう考えている。それに決める面接ばかりであるとクライアントも面接を負担に感じるように僕は思うのである。毎回「決める面接」だとキツク感じられるということだ。
そういう話はここでは展開しないことにして、今日の面接を無難にこなしたというのは、流す面接であったという意味である。
幸先がいいのは今日だけかも。コロナ禍で、いくら感染症対策を講じながらやっているとは言え、対面式の面接をやっていいのかという不安もある。今のところ、ウチで感染したという人はいないようなので、一応良しとしておこう。
仕事をこなし、その他、継続中だった作業もこなし、それなりに充実した一日ではあった。毎日、何かが進展している、それだけを目指そう。人生が停滞してしまうことこそ回避しなければならない。僕にはそれだけの時間的余裕は残されていない、そのように思わなければならないのだ。まだ将来があるなどと高を括ってなどいられないのである。モタモタしている間に人生が通り過ぎて行ってしまう。なんとも非情であり、且つ、勿体ない話である。せっかく生まれてきたのに、流れすぎるだけの人生なんて、なんの意味があるだろうか。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)