1月28日(日):初めてのクライアント
昨日書いたように、今日は僕の「初めてのクライアント」のことを書こう。
そのクライアントは大学生の女性だった。就職活動中で、面接がうまくいかないということで相談に来られたのだった。そこで、僕は彼女の就職活動の経緯を聞いていった。それは大体、以下の通りである。
まず、就職活動など経験したことがないので、彼女はどうしていいか分からなかった。そこで試しにA社を受けてみる。これは「滑り止め」みたいな感じで、気楽に受けてみた。後日、A社からは採用通知が届く。
この成功に気を良くした彼女は、「本命」の一つであるB社を受ける。彼女は「本命」なだけに、気合を入れて、準備万端で臨んだのだった。しかし結果は不採用であった。この時、彼女はもっと場数を踏まなければだめだと感じた。と言うのは、「本命」の面接で非常に緊張したからである。
そこで、練習のつもりでC社を受ける。ここで採用通知を得る。
同じようにD社でも試みる。D社からも採用が決まる。
これに自信をつけた彼女はもう一つの「本命」であるE社を受けてみる。やはり気合いを入れて、準備を完璧にして臨んだ。しかし、結果、不採用だったのだ。やはり緊張してしまったと言うのである。
彼女は次に、やはり「本命」であるF社の面接を控えている。どう臨んだらよいのか分からないと訴える。
彼女のこのいきさつを見ると、そこにある種の「法則性」が見えるのですが、お分かりでしょうか。
まず、彼女は「『本命』では失敗するが、『滑り止め』では成功している」ということが見えてくる。さらによく見ると、「本命」に望む時と「滑り止め」に望む時とでは、彼女は違ったことをしているのが理解できる。「本命」では彼女は準備をする。「滑り止め」ではそういう準備をしないということだ。
従って、彼女は「『本命』では準備万端にして失敗し、『滑り止め』では準備なしで成功している」という法則になるわけである。こうなると、彼女の「問題」は、この「準備」に関連しているということが分かる。
そこで彼女がどんな「準備」をするのかを聞いていくことになる。この「準備」とは、いわばメイクを厳重にするようなものであり、「滑り止め」では「すっぴん」で臨むということである。では、なぜ「本命」では「メイク」を完璧にしなければならないのか、「すっぴん」ではいけないのかということになる。ひとことで言えば、「すっぴん」では不安だからだということだ。
彼女は「すっぴん」の自分では受け入れてもらえないと信じているわけである。受け入れてもらうためには「すっぴん」ではダメで、「メイク」をしっかりしなければならないと考えてしまうのだ。
しかし、現実には彼女の信念とは逆のことが起きているわけだ。「すっぴん」の方が彼女は受け入れてもらえているのだ。でも、彼女のこの信念は彼女にこの現実を容認させないのである。
言葉を換えて言えば、彼女はありのままの彼女を示した方が受け入れられるのである。でも、ありのままの自分では嫌われてしまうと、心の深くで信じているわけである。そこで「本命」、つまりどうしても受け入れて欲しいと思う対象の前では、ありのままでいてはいけなくて、自分を偽らざるを得なくなっているのだ。それは自分が拒絶されないためにそうしているつもりなのだが、皮肉にも、拒絶されないようにと信じてやっていることが、現実に拒絶を招いてしまっているのである。
この女性が僕の初めてのクライアントだった。僕はこれからどのような人たちと会っていくのだろうと不安だった。実習に入って、割とすぐに彼女が来たと記憶している。彼女と面接していて、「こういう人たちとだったら付き合えるぞ」と僕は実感した。それ以来、僕はこういう人に魅力を感じるのだ。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)