1月27日:雨と雪

1月27日(土):雨と雪

 今日は朝の内に用事があって出かける。職場には昼ごろに顔を出すことになった。

 それで、朝、あちこち移動している最中のことだ。雪が降ってきた。土曜日ということもあって、子供を連れた人たちもよく見かけた。4,5歳くらいだろうか、ある子供が雪の降る空を指差して、「雨が降りそう」と言った。

 何気なく聞いていたけど、そうか、この子には雪と雨が別物として見えているんだと思った。みぞれなんかは雨と雪が同時に降っているということなるのだろう。確かに間違いではないけど、子供はそういう認知をするのだなと改めて感じた。

 雨と雪、本当は同じものである。本質的な部分では一緒である。見た目に違いがあるだけだ。見た目が違うと、同じものであっても、別のものとして経験されているのだ。

 僕たちもそうした認知様式から完全に卒業できているとは言い切れない。

 僕は違いが分かる人間になりたいと願ったことがある。コーヒーにしろ、音楽にしろ、酒にしろ、一つ一つの違いが分かる人間になりたいと思っていた。鑑識眼を持った人間になりたいということだ。

 もし、違いの分かる人間にならなかったら、個々のクライアントの違いが認識できないだろうと思うからである。

 でも、かつてはそのように考えていたとは言え、今ではその考えが間違っていると分かるようになった。違いを見出すよりも、その人の中に人間として共有できるものを見出すことの方が大事なのだと思うようになっている。

 そんな経験をしながら、高槻に出る。少し時間がある。いつもの古書店に行く。実は、この古書店に寄ることも予定の一つではあったが、時間がなければ割愛すると決めていた。

 前回、この店で見かけた本がある。それが近頃気になりだして、やっぱり買っておこうと決断したのだ。前回より時間が経過しているけど、大概は残っている。本なんてそうそう売れやしないし、専門書となれば尚更だ。案の定、前回と同じ位置にその本がある。

 目的の本と、その他、あわせて3冊購入する。本当は5冊買うところだったが、今年はなるべく本を買うのを控えようと思っているので、2冊減らす。

 午後、職場に入る。予定の仕事を済ませる。

 あのクライアントはよく僕が怖そうだと言う。彼がそう思うのは自由なので、僕の方はそれに対してどうこうしようというつもりもない。まあ、彼と面接している時の僕はあまり機嫌がよろしくないことが多いのは確かだ。

 僕にとって、一番、やりがいのないクライアントは、ラクになることだけを願って、変わることなく、できるだけ現状のまま凡庸に生きていきたいなどと願う人たちだ。彼らの現状維持だけを手伝うという仕事になってしまう。変化を志向しない仕事っていうのは、本当、やりがいが生まれないと僕は感じている。

 自分に不満がないと人は変われないと考える人を僕は見かけるが、それは間違いでもあると僕は思う。自分に不満のある人は、むしろ、自分を変えようとしないのだ。その人が自分に不満なのは、自分が変わるということが信じられないからである。

 自分に満足している人は、自分をより良くしていくだろうし、より向上を目指すだろうから、進んで自分を変えていくだろう。少なくとも、自分が変わっていくことに躊躇しないだろうと思う。

 夜、購入した本にざっと目を通す。読むと言うのではなく、パラパラと目を通していくのだ。そこで、大体の構成を把握しておく。それから読むということになる。今日は読む時間が取れないが、明日から読み始めようと決める。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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