1月25日:Yさんと一日過ごす

1月25日(水)Yさんと一日過ごす

 

 向上することは愉しいと昨日は書いたけれど、人と親しくなることもまた愉しいものだ。昨日(24日)は人と一緒に一日を過ごした。その人は女性でYさんとしておこう。

 その前夜が徹夜で、予想していたよりも帰りが遅くなった。朝の6時くらいには帰れるだろうと見込んでいたのだけれど、帰ったのは7時だった。それから2時間ほど寝る。待ち合わせは11時だ。人を待たせるのがイヤなので、早目に着いておく。Yさんが来てくれるかどうか不安を感じながら待つ。彼女は時間通りに来てくれた。嬉しかった。

 それから何をするかと言うと、ただ歩くだけである。一緒に散歩を楽しむというのが目的だった。延々と歩く。疲れたらどこかで休む。そしてお喋りを愉しむ。僕はそれだけで十分愉しい(もちろんYさんがどう思うか分からないが、同じように楽しんでくれていたらなあとは願う)。そうして一緒に時間を過ごす。お互いのことが分かりあえるような感覚も覚える。Yさんのことも以前よりはよく理解できるようになったと思う。

 ところで、僕はYさんのような人がたまらなく好きなのである。内的な資産をたくさん有していながら、その資産を活用することもなく、また自分でもそのような資産を有していると信じることもできず、毎日負債ばかり増やしてしまっているというような人が好きなのだ。決して器用には生きていない人である。

不器用にしか生きられないという人に僕はたまらなく魅力を感じる。僕の勝手な印象では、器用に要領よく生きようとし過ぎる人が周りには多いなと感じている。そういう器用に振る舞い、要領よくスマートに生きる人たちは、確かにきれいに生きているし、何がしかの成功をしていることが多いように思う。それも立派な生き方であるとは思う。でも、僕はその人たちからは魅力を感じないのだ。もっと、どんくさくて、泥臭い生き方をしているような人の方が、僕には魅力的であり、そういう人と付き合いたいと思うのだ。

 なぜそう思うかって? それは僕自身がそれほど器用に要領よく生きられない人間だからだ。これまでも多くの回り道と逡巡を繰り返し、無駄なことをたくさんやってきた経験があるからだ。だからYさんのような人はやたらと親近感を覚えるのだ。どこか「僕と同類」という感じを抱いてしまうのである。

 クライアントにもそういう人が多かった。僕が好きになるクライアントはそういう人だ。そういう人が自分の資産に気づき、活用していくようになると、僕はとても幸せに感じる。

 Yさんも自分の資産に気づき、それを活用していくことができれば、もっと自分の人生を追及していくようになるだろうと僕は予測している。そして是非そうなって欲しいとさえ願っている。今のYさんには、そこに至るまでにまだ少し道のりがあるようだけど、いつかそういう時が来ると僕は信じている。

 あんまり書くと、まるでYさんが「ダメな人」のように見えてしまうかもしれないので、これくらいにしておく。決してYさんのことを「ダメな人」と書いているわけではない。むしろその逆のことを書いているつもりである。誤解のないように、そこだけは強調しておきたい。

 Yさんのおかげで、昨日は有意義な一日を過ごすことができた。学んだことや発見したことも多かった。僕の一方的な散歩に付き合ってくれたYさんには本当に感謝するばかりである。

 関係を築くことも愉しいことである。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー

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