1月25日(月):コロナ禍を生きる~無選手オリンピック
この状況でいまだにオリンピックにしがみついている政府には嫌気がさしてくる。確かに、中止や延期ということは開催国だけでは決められないそうであり、IOCと協議の上決定しなければならないことであり、それまでは開催を前提としなければならないという事情も分からないことはない。しかし、今はそれどころか。
オリンピックに照準を合わせるのでワクチン接種の問題も起きているのではないだろうか。なんでもかんでもがオリンピックに間に合わせるようにということなるから、無理なことをしなければならなくなってしまうのではないだろうか。とても国民が一丸となってというムードでもないし、国民が一丸になっても無理なものは無理という気がしてしまうのは僕だけだろうか。
この状況でオリンピックやるとなったらどうなるだろう。無観客は避けられないだろうな。外国の人たちが国から出たいとは思わないかもしれないし、日本の状況を見れば日本に行きたいとは思わないかもしれない。選手だって怖いだろう。いっそのこと無選手で開催するか。
例えば、100メートル走。無人のスタート地点。スタートの号令が鳴る。カメラは無人のコースを追う。10秒くらいでゴールテープが自動で切れる。無観客、無選手で、とりあえず開催だけはしましたと形にはなる。
その他、各種競技も無選手開催をしたらいい。無人の競技の放映権を売ればいい。誰も観たいとは思わんだろうけれど、それでも開催はしましたと歴史に残る。
できれば、日本はオリンピックを断念してほしい。どの競技にも世界大会があるものであり、オリンピックを欠いても、アスリートの活躍の場がなくなるわけではない。
そもそも、今回の東京オリンピックは小規模というかこじんまりしたものにしようという話だった。それで当初は7000億円ほどの予算でやろうということだった。蓋を開ければこれに3兆円も注ぎ込んでいるのだ。延期ということでさらに費用がかかっているのが現状だ。延期すればするほどその費用もかさむことになる。そこまでして開催しても、出場する選手たちにどんな批判が浴びせかけられるか分かったものじゃない。選手は悪くないとは言え、彼らのためにこれだけの費用がかかったというふうに解釈してしまう人も現れるかもしれないので、僕の個人的な考えでは、選手を誹謗中傷から守るためにもオリンピックは中止にした方がよろしいと思うわけだ。
当然、それだけの費用はコロナ対策に回した方がいい。選手村も隔離施設としてどんどん活用すればいいのだ。ワクチンの接種会場が必要なら競技会場とかスタジアムとかを利用すればいいのだ。人員等の問題を度外視すれば、大規模な集団接種もできるだろう。
オリンピックのための費用や施設を、オリンピックのためではなく、コロナのために活用する。オリンピックを犠牲にしてまでコロナと戦う。それこそ人類がコロナに打ち勝った証ではないだろうか。
ともかく、コロナは災難であるけれど、オリンピックはさらに輪をかけた災難だ。この期に及んでもオリンピックをやると政府は言っているわけだけれど、それが人命軽視の思想であることを多少なりとも理解してもらえるだろうか。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)