1月2日(水):足止め覚悟
ダメだ。熱が下がらない。朝の時点で37度を下回っていれば、今日は普通に職場に行こうと決めていた。ところが、38度超えのままだった。決める時は迷わず。と言うことで、今日は休むことにした。
一日の大半を布団の中で過ごした。まあ、それは苦ではない。困るのは目の奥の痛みだ。これのために本を読んでも、パソコン画面を見ていても、すぐに目が辛くなる。長くは続けられない。少し読んでは目を休め、また少し読むということの繰り返しだ。パソコン作業の方もそうして小刻みにやっていくしかなかった。
今日は兄夫婦たちが来る日だ。この日、我が家はすき焼きをするというルールがある。午後、すでに父たちはすき焼きの準備をしている。僕は一足早く食することにした。この時、熱を出してから初めて十分な汗をかいた。汗をかけるということは、回復が目前であるような希望をもたせてくれた。
朝食は食べず。昼食と夕食の二回だけ食卓に座った。それ以外の時間は自室にて、ほとんど寝て過ごす。兄夫婦や甥っ子とも顔を合わさずだ。まあ、下手に顔を出して、風邪をうつしたりしたら悪いので、その方が良かったとは思う。
あまりに目が痛いので、鎮痛剤を服用する。たいていの鎮痛剤には解熱作用があるが、そのせいだろうか、夜はラクになる。薬が効いている間だけ37度を下回る。このまま下がった状態を維持してくれればいいのだけど、現時点では何とも言えない。
今日は何度も寝ては起きてを繰り返したので、どの時間帯に見たのか分からないけど、次のような夢を見た。
かつて一緒に仕事をしたことのある人が出てきた。僕と同じ年の人だ。夢では一緒に仕事をしている同僚同士だった。この人が朝礼のような場所で、今年で引退を表明した。来年からは必要な時だけ手伝いに来て、その分だけの給料を貰うと宣言した。僕は、それをするのだったら引退はしない方がいいのではないかと彼に言ってみる。つまり、引退するなら完全引退にするべきで、必要な時に手伝いに来るという働き方なら、何も引退することはなく、シフトを見直してもらった方がいいではないかということを伝えたのだ。彼は何と答えたか覚えていないけど、とにかく、僕は彼の引退に反対し、引退するのは早すぎると主張したのだった。
目が覚めてから、なんとも抑うつ的な気分に襲われた。自分もいつか終わりの時が来るという気持ちに襲われ、その時が来た時に果たして生きていける自分になっているだろうかと、妙な不安に襲われた。
夢の中の両者の対立、つまり同僚の彼と僕の対立ということだけど、これはそのまま僕の心の中にある葛藤である。年が明けて、今年一年やっていけるだろうかと、すでに不安に襲われている。熱を出して寝込んでいるというこの状況、年明けの一週間は仕事がないという今年の仕事状況が、この不安をさらに後押しする。どこかで今年が僕の最後の年になるんじゃないだろうかという、確かに根拠はないけど、そういう確信がある。
この不安と格闘することがある。夢はその状況を表わしてくれている。夢に登場する彼であるが、この人は僕と同じ年なのによく働くなあと感心する人だ。僕から見ると、すごく理想的な人生を送っているように見える。僕が達成することのなかった人生、実現できなかった姿を、僕は彼の中に見る思いがする。
ああ、この夢の結末がどうなったのだろう。どちらが勝ったのだろう。今年で引退する主張が勝ったのか、引退してはいけないという主張が勝ったのか。後者であってくれればいいのにと思う。
この夢を見てから、少し自分の最後ということを考えてしまう。このままではいけないという気持ちが強まる。せめてもう少しでも、僕は自分の人生から幸福や達成を得たいと願う。生きている間にもう少しばかりましな人間になりたいと思う。
そんなことを思うと、うかうかと寝てられない。何か前に進めないと。そうして活動を開始すると、アカン、やっぱりしんどいってことになってしまった。熱が下がるまで、風邪が治るまで、当分足止めを覚悟しなければならないようだ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)