1月2日(水):家族から離れて
昨夜は深夜勤務のアルバイトをした。
朝、そのまま墓参りに行って、それから高槻に直行する。
今晩も夜勤をして、明日の朝は高槻に出て、明後日からの準備をする予定だ。
1日の夜に家を出て、帰宅するのは3日の夜中になりそうだ。正月早々、なんて生活をしていることやら。
今日は帰宅してもよかったのだけれど、兄たちが家に来るというから、僕は遠慮して席を外すことにした。甥にお年玉をあげるのが嫌なのだ。多分、甥の方でも、正月になると姿をくらます叔父さんとして映っているのではないか。まあ、それくらいの方が僕にとってはありがたい。
それだけでなく、僕が家から離れているのは、昨年のような場面に出くわすのにもうんざりしているからだ。父と兄との間で一悶着あったのだ。父と兄が火花を散らすのは構わないけれど、こっちにまで飛び火してくるのは勘弁してくれという感じである。そこで、今年はそうなったときの用心として、一日中家を出るという作戦に出たわけだ。
僕の育った家庭の家族力動とはそういうものだ。基本的に父が中心になる。父と兄がもめる、弟はそこから出ていく、母は中間に立たされる。父と弟がもめると、兄は外部の人間になるか、父と同盟を組む。母はやはり中間に立たされる。母は自分の立場がはっきりしない。それだけ弱い存在である。父、兄、弟の三者関係が成立することは稀である。この三者に於いては、常に誰かが排斥される。兄、弟の関係においては、父は除外されているか、敵対視されているかのいずれかである。だから誰か一人が除外されている方がこの家族は上手くいくのである。
こういう家庭に育ったためか、僕はどうしても家族とか家庭とかいう言葉に暖かいものを感じられない。一家が集まるホームドラマよりも、一家が離散してしまう悲劇の方が僕は好きだ。そちらの方が僕の現実にぴったりくる感じがする。
まあ、それにしても新年早々、重苦しい話を展開しているとは思うが、これも仕方がない。僕自身、それほど愉快な人間でもないので、その点は堪忍してもらいたい。他の人のブログなんかを読んでみると、けっこう愉しい体験が書かれていたりするけれど、僕はそれができそうもない。こんなブログを電子書籍にして金儲けしようと企む人たちもおるのだからびっくりだ。こんなの読んで、誰が幸せになるのかね。
余談ながら、今日はほとんど眠れなかった。これから深夜勤務をするのだけれど、はたしてやっていけるだろうかと、いささか不安になっている。僕は僕の現実を生きるしかない。
通りを歩いていると、幸せそうな家族連れを見かけるのだけれど、それは僕の現実ではないのだ。彼らの現実と僕の現実をきちんと区別できていれば、人の幸せを妬んだりすることもないし、比較することもないものだ。そして、その方が僕の現実をしっかり生きていけるように感じている。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)