1月2日:今日を生きた証に

1月2日(月):今日を生きた証に

 

 昨夜はアルバイトだった。終わってから、比較的速やかに帰宅した。帰宅して少し食事を。というのは腹が減ってしまったからだ。その後、布団にもぐりこんで本を読む。読みながら眠ってしまったらしい。

 起床。高槻に行こうかどうしようかで一瞬悩む。家にいて、家のこともしなければとも思う。しかし、こういう時は最初に立てた計画に従うのが無難である。経験上、それが正しいと思っている。ということで、高槻に。

 

 職場入りする。高槻の光景はいつもと変わらない。正月だからといって何かが変わるわけでもない。職場に入ると、こちらも昨年のままの光景だ。大掃除の後片付けが中途にしか終わっていない。

 今日の予定は、パソコン内のデータ整理、並びに、昨年の資料や記録の整理。そして後片付けのいくらかできればいい。気持ちとしてそれくらいでちょうどいい。そして、どれもそれなりに捗った。

 今晩もアルバイトを控えている。あまり体を酷使しないようにしよう。その後、大まかにであれ、今週の作業目標を設定する。今週中にここまでのことをするといった目標をいくつも設定する。現時点で20項目以上ある。まだ増えそうである。でも、うち一つは今日一日でカタがついた。

 一つ一つを終わらせていこう。ともかく、そうしてやっていかないと時間がいくらあっても足りないくらいだ。僕は僕自身の人生をまっとうするために、自分自身の整理をつけていく。

 

 そうだ、午後に管理人さんがお見えになられた。年始の挨拶と差し入れを持ってきてくれた。今の管理人さんは僕のことをとても当てにしておられるようだ。考えてみればそれも分かる。管理人さんはここに住んでいないのだから、建物のことが気になるだろうと思う。それでよく様子を見に来られるようだ。僕が在室している、つまり建物に誰かがいるということが安心になるのだろうと思う。

 当てにされるのも生きている証拠だ。生ある証拠である。誰にも当てにされないというのは生きている意味を喪失するだろうと僕は思っている。当てにされることはプレッシャーにもなるけれど、それがあるからこそ生が意味を持つものではないか。

 

 そんなこんなで昼前から作業をして、今19時。今日はサイト作業をする時間がなさそうだ。中途半端なのである。だからブログくらいは書いておこうと思い、こうして書いている。

 今日何をしたか、どんな一日だったか、こうして残しておくことも僕の生きた証となる。僕のことは、他の人にとっては、まったく興味のないことだろうけれど。僕は僕自身の記録のためにも、できるだけ書いて残しておこうと思う。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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