1月19日(水):カウンセラーなんかにはなるなよ
昨日は感染者数が3万人越えしたようだ。いよいよだな、という気もする。この3万人がどれほどの人に感染させているだろう。一人が10人に感染させたとしたら30万人だ。やがて感染者数一日10万人越えをする日も来るかもしれない。
今のところ、感染したら隔離だ。しかし、人口のほとんどが感染しているのであれば、隔離は無意味だ。隔離で追いつかないほどの感染スピードであればそういうことになるかもしれない。さらに、そこから新たな変異株が生まれるかもしれない。もっと厄介なやつが生まれるかもしれないし、ワクチン開発が追いつかなくなるかもしれない。
亡くなる人も出ている。この先、どれだけの人が重症化して亡くなることだろうか。僕もその一人になる可能性が大である。せめていつ死んでもいいようにだけはしておかないといけない。
そんなことを考えながらも、今日はよく勉強した。ルリヤの『現代の心理学』上巻を読む。若いころにお世話になった本で、今読み返しても面白い。ロシアの心理学はまた欧米とは違って、ちょっと独特な雰囲気がある。それもまた興味の尽きない部分である。
この本を再読しようと決め、20時間で読む計画を立てた。今日、5時間ほどでほぼ半分を読み切った。明日、また5時間ほどかけて下巻を読み、あと10時間かけて重点的に読みたい部分を読み込んでいこうと考えている。とにかく、この本とは今回は20時間つきあう。
勉強して何になるだろうか。まあ、「知は力なり」だ、どこかで役立つだろう。
若い人に僕は言いたいけれど、心理カウンセラーなんかにはなるな。もうそんな時代ではないのだ。身体化、行動化する人間があまりにも多い。もはや心に関する関心なんて一般には持たれていないのだ。今日来るはずだったクライアントもそうだ。身体化させてしまうのだ。
身体化させること、心身症とかセネストパチー(体感症)とか、また少し違ったニュアンスだけれど離人症とかもそうだ。心を切り捨てるので身体で過剰に体験されてしまうのだ。心の問題を身体の問題として表現しなければならなくなるのだ。この人たちにとって心はずっと遠くの方にある。そこに触れるなんてことは至難の業である。こういう人が増えれば増えるほど、カウンセラーのような職業は求められるなくなる。身体から取り組むか、身体だけを取り扱うか、そういう専門家の方がウケることだろう。
行動化もまた身体の次元の話である。行動化は身体行動のことであるからだ。心は切り離されてしまい、行動だけが浮き上がる。つまり、心が体験していることを認識できず、それが行動とうまくつながらず、そのため行動が過剰化する。その心が体験していることに適した行動が取れなくなる。そして、心がさらに強く意識化を求めることになれば、それによって惹起される行動が過剰になる。こういう人は行動で発散するので、いわばその行動化で完結してしまうので、問題意識を持つことも無ければ、カウンセリングを必要とすることも無いのだ。
もっと違った風に言うなら、行動化する人も身体化する人も、そういう形で表に出すので、本当に悩むということがないのだ。苦しいとか痛いはあるけれど、悩むということはしないのである。だからカウンセリングは必要とされないのである。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)