1月17日:統合が快であることを知る

1月17日(金):統合が快であることを知る

 昨日は所用で一日中外出していた。朝6時には起きて活動を開始した。一昨日の晩から始めた禁煙は、昨日の朝8時で終ってしまった。待ち時間が長くて、手持ち無沙汰で、ついついタバコに手が出てしまったのだ。まあ、12時間の禁煙だったけれど、悪くない。
 断酒の方は今日で6日目だ。時折、飲酒欲求に襲われるけれど、どうにか堪えている。この断酒も多少は関係があるのかもしれないけれど、昨日はやたらとトイレに行った。下品な話をして申し訳なく思うが、思い出せる範囲で数えてみると、昨日は小が9回、大が4回だった。それだけトイレに駆け込んだのだ。今日は昨日ほどではないけれど、いつもよりもトイレの回数が多い。胃腸や内臓が活発になっているのだろう。それだけ健康を回復していっているのかもしれない。
 生活を変える。僕が今一番望んでいること、達成したいことはそれだけだ。健康な身体はそのための大切な資源だ。徐々に健康を回復していっていると信じたい。
 今日も一日、僕には生が与えられた。感謝したい。改めて振り返ると、今日一日でもいろんなことができた。学んだことも多く、こなした雑用や事務もたくさんある。一つ一つはここに記さないけれど、僕の日記帳には今日の学びを記録しておいた。大切にしたい。
 本もよく読んだ。ルソーの「告白録」も五巻目(第1部5章)に突入した。その他、分裂病に関する論文を二、三読み、文章心理学に関する本を半分ほど読んだ。調べることがあって、フッサールやメルロ・ポンティの著作も拾い読みした。あと、娯楽でコミックや週刊誌、新聞にも目を通した。学ぶことがたくさんある。
 この2年くらい、仕事でも私生活でも迷走し、行き詰った感じが濃かったが、最近、なんとなくだけれど、そういうものが吹っ切れてきた感じを体験している。以前の感じ、原点に戻ったような感じと言っていいだろうか。もちろん、以前と同じものを体験しているのではないけれど、感覚的にそれに近いという意味合いだ。
 何か一つのものを追求していたり、一つ事に集中している時、その人の人格はもっとも統合されている状態である。これはオルポートも述べているし、禅思想にもそれに近いものが見られる。そして、この人格が統合された状態を体験するということは、それが直接的な経済利益をもたらさないとしても、その体験自体が「快」であるということを、僕は今になって知るようになった。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

(付記)
 当時は当時で原点に還ったような気がしていたが、今の方がその感じが強い。もう、アルバイトとか、勉強会とか、そういう外側の拘束がなくなったので、一つのことに専念できるようになりつつある。怪我をしたということで、その過程は速やかに行っていないのだけど、徐々に戻りつつある。
 あと、統合ということだが、これは一つにまとまるという意味だけではなく、各人格要素が協働しあうということである。
(平成28年12月)

 

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