1月15日:一日の長さ

1月15日(月):一日の長さ 

 

 昨日はかなりしんどくて、一日の大半の時間を寝て過ごしてしまった。なんとなく勿体ない一日を過ごした気がしてしまうのだけれど、体が言うことをきかないのはどうすることもできない。足の痛みも持続したままだ。 

 

 夜は深夜勤務をこなす。ちょっとしたことが負担に感じられるうえに、そのちょっとしたことでイライラしてしまう自分もいた。考えてみれば些細なことなのに、その瞬間はとても大事として意識に上がってきてしまう。 

 それでもなんとか勤務はこなした。必要最低限のことだけやったという感じしか残っていないのだけれど、それでもいいや。というか、もうどうでもいいやみたいな気持ちに陥っている。 

 深夜の2時台ころがきつかったかな。トイレだけ借りる男にキレそうになったが、反動形成というやつだろう、僕はそれをひた隠しに隠そうとして返って愛想よく接してしまった。余計なことをしたもんだと我ながら思う。 

 しかし、あいつらはどこからやって来るのだろうな。僕はちょいちょい表に出てみるのだけれど、深夜なので人通りなんてない。ましてやそんなに繁華街というわけでもない。歩いている人なんて見かけないのに、どこからともなく現れるのだ。時空間をワープして現れるのか、エンタープライズ号から転送されてきてるんかいなと思ったりもする。僕には謎としか言いようがない。 

 

 それはさておき、たとえ副業であれ、自分が関わる事物に大しては真剣に取り組もうという理想を掲げているものの、現実にはなかなかそのようにはいかないものだ。自分の不甲斐なさを引き受けることにも勇気がいるものだ。 

 今日は深夜勤務後は一旦帰宅する。朝食をとってから出勤しようと思った。いつもなら先に出勤するところを、今日は逆にした。 

 朝食の後、本を読むが、睡魔が襲ってきて一時間ほど座ったままで寝る。昨日あれだけ寝たのにまだ睡魔が襲ってくるなんて、と思ったけれど、時間があるなら寝てしまおうと思った。 

 本はジョージ・A・ミラーの『心理学の認識』だ。若いころにお世話になった本で、以後も時折読み返している一冊だ。昨晩、出勤前に第1章と2章を読んだ。朝食後に第3章を読み、通勤の間に第4章を読んだ。新たに読むものではなく、内容もある程度把握しているので、読むのがスムーズだ。記憶を新たにするくらいの感じで読み進めている。今日中に10章まで読めたらと思っている。 

 

 高槻に来る。職場入りして、パソコンの準備をする。10時には作業開始。今日の目標は18時まで仕事する。8時間の仕事だ。 

 まずはサイトの公開から。<#016-21>~<#016-30>まで、原稿をまずは揃える。それを再度読み直し、推敲し、公開できる状態まで仕上げて、公開作業に入る。サイト作業は、一度だけ誤操作あり。そこだけ余計な時間を食ってしまう。10ページの公開だが、14時ころまでかかった。 

 それから昼食を取り、勉強をして過ごす。 

 午後からは次の10ページを候補として挙げる。僕のサイトのフォルダーから、過去に公開したもの、未公開のもの、未完成のものなどを選び出す。次の公開作業までこの10ページだけに絞る。すでに2,3のページでは校正して、書き足し、一応の完成に至る。そうこうするうちに18時となった。 

 速やかに帰宅。19時には帰宅していた。食事の後、眠る。今晩の深夜勤務に備えて。4時間は寝れる。それだけ寝られたら上等な方だ。 

 

 さて、能登半島地震から2週間か。テレビでやたらとそれを言っていたような気がする。これは言い換えると、年が明けてから2週間ということになるわけだけど、なんだかもっと時間が過ぎているような感覚を覚える。毎晩のように仕事をし、一日をできるだけフル活用しようとしていると、一日ってけっこう長いということに気づく。24時間あれば多くのことができるということにも気づく。 

 できれば震災のことも書いておきたいのだけれど、今日はもう時間がない。いつか僕の住んでいる地域でも大きな地震に見舞われるかもしれない。石川県の人たちの経験は、いつか僕たちがする経験となり得る。彼らがどうなっていくのか、彼らにどんなことが起きるのか、それはいずれ僕たちの身に降りかかることなのだから、注視していきたいと思う。 

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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