1月12日:禁酒でもしようか

1月12日(火):禁酒でもしようか

 

 昨日と今日とで家のことをいくつか片付ける。自分の身辺整理もしておきたい。

 今日の午後からは時間が空いたので、とりあえず外に出てみる。朝は雪が降っていたけれど、それが雨に変わり、僕が家を出るころにはそれもやんでいた。一応、傘は持って出るも使うことなく終わりそうだった。

 高槻に出て、職場に入って、いつものように書き物をして過ごす。長時間パソコンに向かっているとしんどくなってくる。目も疲れるし、全身に疲労感が走る。通常なら「疲れたな」くらいで済ませられることなんだけれど、これはコロナの倦怠感ではないかと思うと不安になる。今のところ体温に異常はない。朝夕二回測定しても36度台だ。37度に達することはこれまでなかった。

 飲食店の時短営業をするということで、僕はいつもの呑み屋に少しだけ顔を出す。今日を最後に当分会うこともなくなるからだ。最後に顔出ししておこうと思った。ちなみに、呑み屋は感染リスクが高いと言われるけれど、僕に言わせれば、リスクの高低はその他の場所と差は無くて、ただ少数のハイリスクの人間がいるだけなのだ。

 静かに飲むのが好きだ。あまりワイワイ騒いだりするのは好きではない。ごく少数の人とボソボソと会話する程度で十分だ。呑み屋には酒を飲みに行っているのだ。そこで思索にふけったり、趣味のことをやったりする。ごく少数の親しい人と静かに会話する。そういう時間を楽しむ。社交はあまり求めていないし、出会いなんてものは一切求めない。

 社交の方はと言うと、僕の場合、あまりに非社交的な生活を送っているので、多少、そういう場も持っていないと人格が貧困化しそうだ。だから精神衛生上、少しの社交の場を持つようにしていたわけだ。ただ、最近はもう社交も必要としなくなっている。

 出会いなんてものはさらに求めない。と言うのは、呑み屋での出会いなんて当てにならないものだからだ。会った時に会話する程度の仲で十分だと思う。長い付き合いをしようなどとは思わない。

 そもそも呑み屋での知り合いってのは、その店がある間だけのものだ。行きつけの店をつくるとそこの常連さんの仲間入りする。その店があっての仲間だ。店が潰れたりしたら瞬く間にみんなバラバラになってしまうものである。そして、それでいいのだ。酒の付き合いは一期一会くらいで十分である。縁があればまたどこかで会うものである。

 若い人の中には異性を求めて来店するというような人もある。若いから許せるという部分があるけれど、僕の本心を言えば、あまりいいことではない。交際相手やセックスパートナーを手っ取り早く見つけようとしている感じがしてしまうのだ。だからそういう人は異性という人間を求めているのではなくて、異性というモノを求めているに等しいと言ってもよさそうだ。求められてしまう異性も惨めだ。

 しかし、コロナ禍で呑み屋が叩かれてしまうのも仕方がないものだ。やっぱりマスクを付けずに大声で話す人っているものだ。今夜もそういう男性を見かけた。出入り禁止の店が何軒かあると彼は言っていたけれど、よく頷けるところだ。この男性を悪く言うつもりはないが、やっぱりああいうふうに人格が破綻するのかと思うと、酒も飲み過ぎてはいかんなと思う次第である。

 幸いなことに、時短営業要請のおかげで呑みに行けなくなる。行きつけの店も休業するとのこと。この際、要請が終わるまで禁酒でもしようか。

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

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