1月11日(木):事例を写す
頭重感があり、目の奥が痛い。あまりいいコンディションではなかった。足の方は、昨日もそうだったけど、痛みがある。
足については、痛みと力の両方がある。痛みがあるけど力は入るとか、痛くはないけど力が入らないとかあるが、今日は両方とも微妙にある。やや痛く、やや力が入らないといった感じだ。
特に、朝の寝起きがひどい。最初に立ち上がるのに一苦労する。ゆっくり時間をかけて立ち上がり、少しずつ足に力をいれてみる。しばらくそうして、やっと歩き始める。徐々に通常の状態になっていくけど、それまではゆっくりとしか動けない。不便だが不幸ではない。
昨日に引き続き、すごく寒い。でも、今日は独りの時間でもエアコンはつけなかった。電気ひざ掛けを体に巻いて暖を取る。
同じく昨日に引き続いて、今日も読みの一日となった。書くほうはこのブログだけだった。
いや、今のは正確ではないな。本を読み、その中から事例を書き出していった。これをいつか公開しようかなと考えている。
僕が精神的にやられていた頃、こういう事例を読むことがけっこう助けになった覚えがある。助けになるといっても、それはあとから気づいたことではあるが、とにかく、事例を読み、いろんな人がいる、自分と同じような人もいるということが分かるだけでも救いとなったように思う。
カウンセリングや精神科医療には守秘義務がついて回る。それはそれで必要なことであるが、他のクライアントがどのようになっているか、どういうことをしているかを知る機会が損なわれると僕は感じている。
グループワークや患者会などで他のクライアントのことを知る機会があるといわれればそれまでであるが、その場合でも、自分と同じような人たちの話しか聞けないのではないかと思う。
実は、自分と同じような人からよりも、自分とは異なる人からの方が、人は多くを学ぶものだと僕は信じている。自分と似たような人からは学ぶことが限られているのだ。だから、いろんな人から学ぶ方が正しいと僕は思う。まあ、その話はいずれ展開しよう。
とにかく、今日も一日無事に終わる。予定されていたことは、どうにかこうにか、こなした。変更やキャンセルも無しである。
病や問題から抜け出せないと嘆き続けている人もあるけど、まずは成功した一日を作ってみることだ。健康的な一日を送ってみることだ。それができるようになってみることだ。それから嘆いても遅くはないのだ。僕はそう思う。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)