1月1日:雪の元日を過ごす 

1月1日(木):雪の元日を過ごす 

 

 このブログ欄もいくつかのシリーズを並行して進めようと考えている。 

 これは日々の記録だから「日記」としておこう。 

 

 今日はゆっくりできると思い、8時に起床した。布団の中で原稿を書いたりして過ごす。毎月あいさつ文を載せようと思い、今月分を書く。以前も一時期やっていたのと同じようなものだ。思いついてすぐ書き始めたので、大したものはできなかった。挨拶の内容よりも、トップページの更新機会を増やすということが目的だ。 

 

 階下に降り、おせちの用意をしている母を手伝う。そのまま食事。 

 午後より、家にいても仕方がないと思い、特に行く当てもなかったが、何冊かの本を持って外に出る。専門書に哲学関係の本。それにスリリングな小説が読みたいと思い、ジョン・ブラックバーン『リマから来た男』を選ぶ。この本は昔読んでとても怖かったのを覚えている。今読んでどんな経験をするだろうか。 

 

 駅に向かう。雪が降り始めている。結局、高槻に出る。職場にていくつか雑用を済ませ、喫茶店にて本を読み、原稿のメモをとったりする。スピノザ『エチカ』の公理と定理をノートに書き出す。第1部の前半を終わらせる。 

 

 夕方、喫茶店を後にする。どこかに行こうかと考えたけれど、降り積もる雪をコンビニの灰皿のところからじっと眺めて過ごした。少しずつ白く変わっていく姿になんだか魅せられた。 

 そうして家に帰るころには一面真っ白になっていた。雪がこんなに積もるのは久しぶりのことではないか。 

 気づいたことがある。屋内に居ると寒いので外に出たくないと思うのだけれど、一旦、外に出てしまうと、案外平気だということ。外に出て活動意欲が刺激されるためかもしれない。寒いことは寒いけれど、それほど気にならなかった。 

 

 帰宅する。父は急な仕事で留守にしていた。兄夫婦たちが来ていた。 

 一緒に喫茶店をやらへんかと兄が誘う。真剣なのか冗談なのか判断がつかない。カフェの経営も面白そうだとは思うけれど、今の僕はそこまで手が回らない。 

 久しぶりに兄を見た。言葉は悪いけれど、少し人相が悪くなったなと感じた。苦労も多いのだろう。 

 父の帰宅が遅いので母が不安に襲われ始める。雪のために帰宅が困難なのだと思うのだけれど、確かに事故にでも遭っている可能性は完全には否めない。僕も不安になってきた。その後しばらくして父が無事に帰宅する。 

 

 夜、友達に新年のあいさつをメールで送る。もっと早く済ませるべきところなのだが、携帯を忘れて外出してしまったので、そんな時間になってしまった。しばらくして相手からも返事が来た。 

 あとはパソコンをいじって、今日一日は終わりだ。そんなに悪くない一日だったと思う。 

 

 今日読んだのは、「心の科学」から論文やコラムをいくつか拾い読みしたのと、『エチカ』第3部並びに第1部。『リマから来た男』を三分の二ほど。『暴力の心理』と『性の象徴的傷痕』を拾い読みする。また職場にて過去の記録などを読み返した。まあまあ読んだ方だと思う。 

 音楽は60年代のアメリカのバンドであるアソシエーションのファーストアルバムを聴いた。アソシエーションは僕の中で再評価しているバンドだ。ソフトロックと形容されることが多いのでついついそういうイメージや先入観で彼らの音を聞いてしまうのだけれど、改めて聴いてみると、しっかりした密度の濃い演奏をしているなと気づく。 

 テレビはまったく見なかった。特番ばかりで、面白そうと思うものがない。どれもこれも、きっと、マニックすぎることだろう。今の僕の気分には合わない。 

 

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー) 

 

(付記) 

 いつもの正月の過ごし方だ。職場に行き、テレビは見ず、本ばかり読む。 

(平成29年2月) 

関連記事

PAGE TOP