1月1日(月):元日の夜にて
朝の10時頃、家を出る。近所を少し歩いてから駅に向かう。
その時、子供を激しく怒る父親を見た。僕はその一部始終を見ていたのだけど、割と車通りの多い道路に4,5歳くらいの子供が飛び出したのだ。幸い、車の流れが途切れていたので事故にはならなかった。父親は飛び出す子供を見て、危ないと叫び、子供を力尽くで引き戻す。その後、父親は厳しく説教をした。子供は、泣くことはなかったけど、どこか落ち込んだようだった。
あの子供はどういうことを経験しただろうか。父親の暴力だろうか、保護だろうか。あるいは自由の束縛だろうか。僕から見ると、父親は父親としての責任を果たしたようにしか見えない。あの子供にはまだ分からないかもしれないけど。
あの子が、いつか今日のことを思い出して、あの時、父親は自分を助けようとしたのであって、決して理不尽な力の行使をしたのではないということが分かるまで、一体どれだけの発達課題を経なければならないことだろうか。
高槻に着く。お正月なので、あまり人の姿は見えない。管理人さんたちの家族がいるので、そっと職場に入る。あまり迷惑になるようなことはしないように心がける。
職場で、まずは湯を沸かし、コーヒーを飲む。少し室内の片づけをやって、本を読み、いくつかの論文を読む。その他、パソコンのデータ整理をする。
夕方まで職場にこもる。おせちを詰め合わせただけの弁当を食べる。本当に孤独だ。ここだけ時間が止まっているんじゃないかと、そんな気分に襲われる。
職場を後にする。まだ勉強をし足りない気分だったので、真っ直ぐ帰らず、喫茶店に入る。そこでもう一つ論文を読んで過ごす。
店の中は、それほど客が多くないけど、それなりに賑やかだ。なんか正月らしい雰囲気だ。家族連れや団体もちらほら散見できる。独りなのは、僕と、僕の目の前の席でひたすらマンガを読んでる兄さんくらいなものだ。
夜になる。喫茶店を後にして、その辺を一周する。閉まっている店も多く、ひっそりとしている。いつもは賑やかな通りも、なんだか深夜のような雰囲気だ。これもまた正月らしい光景ではあるのだけど、なんだか寂しくなってくる。
その後、帰宅。帰りの電車でも本を読む。周囲に意識を向けないようにしよう。
帰宅。両親は帰っていた。親たちは親戚のところに行っていたのだ。親戚の人が僕のことを訊いたらしい。母が話した。それは兄のことだろう、と僕は答える。母の言うところでは、それは兄ではなく僕のことであるようだ。そして、兄のことは話題にならなかったと母は言う。
なんだかおかしな感じだ。通常、兄の方が印象に残り、人に記憶されやすいのに。どちらかというと、僕の方は忘れられる存在だ。なんだか意外だった。
夕食後、テレビでも観ようかと思ったが、何も観る気にならず。
未鑑賞のマカロニウエスタンを観る。「荒野のアパッチ」だ。まあまあ面白かった。
ハゲてるリー・ヴァン・クリーフがフサフサの髪をしている。カツラなんだろうけど、不自然だ。それはさておいても、ミステリ風というかスパイ風のストーリーはなかなかよくできていると思った。
メキシコ軍の大将はホセ・ボダロじゃないかと思った。ラストのクレジットを探すと、その名前があった。やっぱりそうか。
主題歌はクリーフ自身が歌っているそうだが、マガジンの解説を読むと、かなり苦労したらしい。クリーフにいくら音楽のレッスンをさせても上達しなかったそうだ。それで語り口調で歌詞を読ませ、それを出来上がっている音源に無理矢理に乗せたそうだ。でも、さすがというか、そういうエピソードを知らずに聞けば、初めからこういう曲なのだと信じただろうし、違和感なく受け入れただろうと思う。それに、なかなか悪くない曲であった。
と、まあ、こんな元日であった。世間ではお正月ムードで、テレビも特番だらけなのに、ほとんどいつもと変わらない一日を送った。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)