6月25日(金):人前でスマフォ見せるべからず、ペイッ!
買うものがあってコンビニに入る。
セブンイレブンが導入しているレジは、客がレジ操作をするというものだ。やがて、こういうのが他のコンビニやスーパーなんかでも普及するのだろう。店員は商品をスキャンするだけで、現金には一切手を触れない。
レジの客側に液晶パネルがあって、支払い方法を選択する。僕は現金主義なので現金だ。お金の投入口にお金を入れて清算する。レシートとお釣りがでてくる。客がこの操作に慣れていないとレジでまごつく人が現れ、けっこう待たされたりもする。
支払い方法も多岐に渡る。プリペイドカードの類はまだわかる。しかし、ペイペイだのなんとかペイだのペイなんとかだの、ああいうのはどれがどれやら分からん。ペイペイペイペイって、アダモちゃんか。と言ってもアダモステが分かる人は古いか。
商品と現金の交換が一番シンプルで分かりやすいと僕は思っている。電子マネーの類はどうもお金を払って品物を買ったという感覚が乏しくなるような気もしている。
近頃は断捨離などと言って流行っているようだけれど、なんか、モノを所有することが悪徳であるかのようなニュアンスを感じることがある。僕はモノを所有しないと言っている人の方が却って物欲に貪欲であるとも感じている。まあ、その話はいいとしよう。
支払いの方法がヴァリエーションに富んでいるのであれば、購買行動ももっと増えそうな気がするのであるが、一方で断捨離のようなことがブームになっているのだから、どこかチグハグな感じを受けるのは僕だけだろうか。
モノを所有するとは、出会いと別れ、時には再会の経験を積むことにつながると僕は思う。人間に必要な体験を体験させてくれる契機になると思う。一冊の本でさえ、出会いと別れがあり、再会もある。言い換えれば、本一冊取り上げても、本と僕との間にドラマが生まれるのだ。これを図書館で借りて読んだとかいう本だったら、そういう体験をしないのではないか、そういうドラマも生まれないのではないかという気がしている。
若い人の中にはモノを所有しないと決めている人もある。そういう人がエライとも僕は思わんのだが、なんとなく空しい人生を送っている人であるようにも思えてくる。モノとの間にも関係が形成され、相互交渉がなされるものであるのに、そういう機会を自ら放棄してしまっているようにも見えて残念な気持ちにもなる。
しかし、モノを持たないという若い人のパソコンとかスマフォの中には種々雑多なものがギッシリ詰まっていたりする。そういうものだ。若い人が無欲であるというのは、その若者が人間的に優れているとかいうことではなくて、なんらかの重篤な精神症状の表われと言えるのではないかとも思う。まあ、その話も今日は脇へ置いておこう。
しかし、例えば、ペイペイなるものは、スマフォでバーコードを読み取り、金額を入力
すればそれで支払い完了となる。確かに手軽かもしれない。でも、それは、他人のスマフォで支払いするのも手軽だということだ。スマフォ盗んでしまえばいいということになる。歩きスマフォしている人とか見かけるけど、別の意味で危ないね。パッと奪い取られたらお終いだ。すごい無防備だ。大切なことは、人前でスマフォを見せるべからずだ、ペ~イ!
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)