6月22日(火):新京極を歩く
今日は定休日。一つ不要不急の外出をしてやろうと思い立つ。
向かった先は京都の河原町。この辺りを歩くのも久しぶりだ。
河原町駅に到着して、一番に向かうのは寺町通りに店舗を構える三密堂書店だ。昔から立ち寄る古書店だ。しかも、コロナがどれだけ猛威を揮おうと、それで三密を避けましょうとどれだけ言われようと、「三密堂」という店名を変えないところがいい。実際、すぐ三密になってしまうような小さなお店だ。
そこから新京極通りに向かう。特に買いたいモノなんかもなかったけれど、四条通りから三条通りまで新京極通りを歩いてみる。人流はあるものの、平常時に比べてかなり少ない。半分以下ではないか。何よりもシャッターの下りている店舗が目立った。正確には数えていないけれど、新京極通りだけで20軒近くあったのではないかと思う。
シャッターの下りている店は、たまたま定休日だということもあるだろうけれど、それでもテナント募集と貼ってあったり、看板が外されたりしている店舗を見ると店を閉めたのだなと思う。新京極通りでこれだけの空き店舗を見るのは生まれて初めてかもしれない。この情景を見れば、オリンピックやったら盛り上がるなんてことは言えない。
その後、三条通りまで来たので、そこから二条通りまで足を延ばして、某古書店を覗いてみようと思い立つ。
ああ、なんてことだ。その古書店でポール・フルキエの『哲学講義』第1巻を発見してしまう。これは全部で4冊から成るのだけれど、僕は第1巻以外を持っている。たまたま第1巻が欠品していたので、残りの三冊を購入したのだ。とてもいい本なのに今では絶版となっているようだ。こんなところで長いこと探し求めていた第1巻に遭遇するとは。三密堂で買い物をしたのをちょっと後悔したりして。それでも買う。無理して買う。これによって、今日のお茶代はパーだ。
そこから三条通りに戻る。ブックオフも覗いてみる。ああ、ここにも、長く探していた本がある。300円程度で売られていたのだけれど、今日はすでに本をけっこう買ってしまった。どうしようかと迷うが、ここまで来たらもう一冊増えるくらいどうってことないわとばかりに購入する。
そこから河原町通りに出る。この辺りは新しくホテルなどが建っている。外国人観光客の増加を見越して宿泊施設なんかの建設ラッシュがあったのだ。きっと、コロナがなければ昨年はオリンピック景気でこの辺りも盛り上がったことだろうに。相当厳しい状況があるのだろうな、などと思いつつ通過する。
四条河原町まで出る。そこから一旦木屋町方面に向かう。喫煙所があるのだ。そこで煙草を一服して、次はどこ行こうかなどと考える。あまりお金も使えない。お茶代はフルキエで消えたので、どこかでお茶しようという選択肢も消えた。木屋町、先斗町、祇園の方まで足を延ばして、京都の現状をもう少しリサーチしてみるかとも思ったけれど、もう面倒臭くなった。そこで帰宅することにした。
京都は、僕の個人的見解では、ほとんど観光で成り立っていたようなところなので、今の状況は苦しいだろうな。廃業している店も目立った。ここはラーメン屋があったのになとか、ここ喫茶店だったのにな、などと思いながら歩いた。我が青春のジャズinnポントも閉めたのかな。コーヒーを飲みながらジャズのレコードが聴ける店もなくなったな。なんとも寂しい限りである。今、営業しているお店なんかも厳しいだろうと思うし、おそらくいろんな補助金や助成金なんかをフル活用して経営しているところなんかもあるだろう。こんな社会にしたのは、コロナではなく、政治家である。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)