6月21日(月):宣言の非解除
今日、もし緊急宣言が解除されたら、少しだけ行きつけの呑み屋に顔でも出してやろうと思っていた。もう顔も出さなくてもいいのであるが、安否の確認程度の意味で覗いてやろうと思っていた。でも、宣言は非解除なので計画は実行することなく終わった。
宣言はまん防に置き換わったけれど、20時以降の禁酒は継続だ。前々から解除は早いと専門家たちは言っていた。抑制が不十分でリバウンドするということだ。それはそうだ。もともと中途半端な対策しかしていないのだから効果も中途半端なものになるだろう。解除できないのは当然だ。それは分かり切っている。それなのに6月20日までといっった期限を設けているのだから矛盾している。初めからその期限内に収束させる見込みなんてありゃしない上に、期限内に間に合わせる意気込みすらないのだ。
ダラダラと中途半端な対策をするよりかは、短期間のロックダウンをする方がまだましに思えてくる。限りなくロックダウンに近い対策のことだ。飲食店だけでなく、その期間は一般企業も休業することを求めるのだ。当然、補償も出さなければならない。
この補償の出し渋りは世界的に見て恥である。諸外国が受給しているころに日本では二枚のマスクを配っていたのだから、いい笑いものである。
政府は補償は充実していると言う。その補償があまりに細分化されているために利用できないのである。あるいは、処理する役所が機能しなくなるのだ。つべこべ言わずに全国民になんらかの金を出せばいいのだ。それが一番話が簡単なのである。
すると、富裕層と貧困層の格差の問題を持ち出してゴネる。富裕層でも収入が減っているのであれば受給の対象にすればいいのであるし、後から回収する手段を講じても構わないことである。ツベコベ言ってやらないのが一番良くない。
一部の人たちはコロナ前の生活には戻れないということを言う。コロナで生活様式がかなり変わったからだと言うのだけれど、それは結局、敗北宣言に他ならない。前の生活に戻れなくてはならないのだ。前の生活とは、コロナ前の生活という意味でだけ捉えてはいけなくて、正常な生活という意味で解釈しなければならない。
前の生活には戻れないということだけを主張するなら、それは異常な生活を受け入れなさいと言っているに等しくなってしまう。そういう意味になるのであれば、僕はその主張に断固として反対する。何よりも以前の生活に戻ることなのだ。正常な生活に戻ることなのだ。
しかし、本当に新規感染者数が減っているのだろうか。僕は信用できない。検査が十分でない可能性が、コロナ開始から一年以上経っているのに、未だにその可能性があるからだ。現状を正しく把握できているとは言えない。この疑問はいつまでも残り続ける。
それで政府はオリンピックとやらを開催しようとしている。首相曰く、若いころに見た東京オリンピックに感動したので、それを今の若い人たちにも経験してほしいとのことである。もし、その言葉がホンモノなら、今回のオリンピックは中止しているはずだ。現状で1964年当時の感動を与えられるはずがないからである。同じ感動が与えられない状況であるなら、開催は意味がなくなるはずである。
しかしながら、五輪のおかげでワクチン接種も実現しているという部分もある。それはそれで良かったと言えるところであるかもしれない。ただ、今の政府を見ていると、五輪後に腑抜けになっちまうのではないかという危惧も一方ではある。
いずれにしても、五輪後のことを考えるのは恐ろしい。日本がメチャメチャになっているように僕は予想する。コロナ感染は拡大し、ウイルスを招待客に持ち帰らせ、世界各国で日本株が蔓延している姿が浮かんでくる。ただ、僕のこの予想は外れることが決定されている。いや、そもそもそれを知る権利が僕たちにはないのだ。簡単な話である。不都合なデータは隠蔽すれば済むだけのことであるからだ。データを操作したり、選別して公表したりすればいいだけのことである。
とにかく、7月11日までまん防が施行される。7月11日で解除される見込みは薄そうである。7月12日からまた延期ということになるのではないだろうか。
飲食店は厳しい状況が続くだろう。ちなみに、飲食店がテイクアウトとか、その他の販売ツールを活用して販路を切り開いたりして、何かと工夫を凝らしている。それで売り上げが前年比の1.5倍になったとか、そんな話を耳にすることもある。しかし、騙されてはいけない。売上が1.5倍になったとしても、それにかかる経費がどれだけ嵩んでいるかがそれだけでは分からないのだ。要するに、売上1.5倍は、純利益1.5倍というのとは意味が違うわけだ。売り上げを伸ばしていながら赤字を出している可能性だってあり得るのだ。
人間社会の仕事はネットワークである。一つの分野で業績が厳しくなることは、全体が影響を受けるのである。廃業する飲食店も後を絶たない。それは、取りも直さず、全体が悪化していることを表わしているのだ。明日がどうなるか分からないような社会でオリンピックが希望になるとは到底思えないのである。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表。カウンセラー)