6月5日:歩を止めるな

6月5日(土):歩を止めるな

 

 今日もとりあえずは一日を終えることができそうだ。予定されていたことも一応はこなした。今日は大きな失策もなく、多分だけれど人の迷惑になるようなこともしていないはずだ。少しずつではあるが仕切り直しができている。そのように感じられる。

 若いころは時間がたくさんあるように感じられていた。今ではウソのようだ。昔は時間をかけて吸収しようと思うこともできた。それだけ時間に余裕が感じられていたのだろう。それに、きっと活動のテンポも早かったのだろう。

 この年齢になると、この先のことが不安でたまらなくなる。死を想定していなければならないし、その死がいつ訪れるかも分からない。近いうちに訪れるかもしれない。若いころのように悠長に構えていられない。

 無駄なことや回り道をする贅沢は許されない。必要なことだけをするようにしないと、時間はいくらあっても足りなくなる。本を読むことも、映画を観ることも、一度で吸収できることが減少している。これはハッキリ自覚できる。だから二度、三度と反復しないといけない。つまり、若いころの二倍、三倍の時間を要するということだ。

 僕も49歳。世間ではまだ若いと言われる年齢だと思う。僕としては人生の大半が過ぎ去ったと感じている。この先の人生は短いとさえ思っている。余生が短いと思うから、精一杯生きておかないといけない。仮に70歳まで生きられたとしても、あとわずか30年ほどしかないわけだ。人生に取り残されてしまう。グズグズしているわけにはいかない。

 生きている間に何かを達成したいし、何かを完成させたい。それは外的な何かではなく、僕の内的な事柄に属している。従って、人から認められなくてもよいものだ。人から認められるような業績とか仕事というものは、案外、大したことではないのかもしれない。僕の内なる何かが達成され、完成されれば、僕はそれで十分である。

 これは、恐らく、精神衛生的に見れば悪くなっているということになるだろうけれど、今の僕はいろんなことに興味を失っている。興味を惹くようなものが何もないのだ。限られた範囲内の興味だけで生きている。僕はそれでいいと思っている。興味は制限されないと、主軸を失いそうであるし、さまざまなことで人生の時間を割かなければならなくなってしまうからだ。ごく少数の事柄にだけ集中したい。 

 サイトの方では「治る人・治らない人」のテーマで今月は書いていく。「治らない人」はまず間違いなく楽園を夢見る。「治る人」は人生の厳しさを受け入れていき、それに挑んでいく。だから治る人の方が充実した人生を送るのだ。治らない人ほど指をくわえてパラダイスを夢見て、人生を不毛にする。それでもそれはその人の生き方なので、僕のクライアントがそちらの人生を選択しても、僕は責任を感じない。立派になるのもダメになるのもその人の自由である。意味ある人生を構築していくか、無意味な人生で終わるかもその人次第である。誰かが何とかしてくれるなんて期待したら大間違いである。

 今の僕に大切なことは、とにかく一日一日を無駄にしないことだ。公私に渡って抱えているものがたくさんある。そのすべてをやっていくことだ。少しでも前に進んでいくことである。一日の遅れは、取り戻すのに一週間かかると覚悟しておかなければならない。

 今のは決して誇張ではない。一日遅れると、その一日を取り返すのは恐ろしいほどたいへんなのだ。その翌日から、通常の一日分の活動に、遅れた分のものが加算されていくからである。とにかく、決して歩を止めてはいけない。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

 

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