6月2日:キネマ館~『悪魔のはらわたーフレッシュ・フォー・フランケンシュタイン』

6月2日(水):キネマ館~『悪魔のはらわた-フレッシュ・フォー・フランケンシュタイン』

 

 恥ずかしながら、アンディ・ウォホール製作の映画を見るのは初めてだ。いや、恥ずかしくもないか。アンディ・ウォホールの映画を観ますなんて言おうものなら、こいつは相当のヘンタイだなと思われそうだ。

 本作でも、セックス、乱交、近親相姦、ネクロフィリア、覗きとヘンタイ趣味が満載である上に、いちいち臓物が飛び出すグロにも事欠かず、人体製造というタブーを真正面から取り上げている。

 舞台はイギリスだろうか。広大な領土を持つ領主夫妻は古びた城館に住んでいる。夫の方は、いわばマッドサイエンティストで、連日助手とともに研究室に籠って人間製造の実験をやっている。

 マッドサイエンティストは一対の男女を作ろうとしている。それも完璧な男女である。この二人を性交させ子供を産ませ、そうして完璧な人種を増やしていき、彼自身は新しい人類の創始者になろうという壮大な計画を持っている。女の方は完璧にできている。男の方は一つ欠けている部分がある。それは性欲である。性欲旺盛な男の脳が要る。そう考えたマッドサイエンティストは娼婦館に行き、まさに理想通りの男を見つける。

 実はこの時、娼婦館には二人の男がいて乱交に耽っていたのだ。二人は親友同士で、一人は確かに性欲旺盛であるが、もう一人の方は明日にでも修道院に入ろうというくらい性欲に無縁の男だった。マッドサイエンティストは間違って性欲に無縁な方を捕まえてしまうのだ。

 マッドサイエンティストはこの性欲無縁男の首をちょん切る。けっこう、ショッキングなシーンだ。首が飛んで、首のない胴体がピクピクと痙攣する。きっと、首の低いところで切断したのだろう。どうでもいい話だけれど。首の低い所で切断するとは、脳への損傷を及ぼさないということであるから、ここで彼らはこの男の脳を完全に無傷の形で獲得したということになる。そういうことを表現したいのだろうと勝手に思っている。

 一方、マッドサイエンティストの妻、実は姉ということらしいのでこの二人は姉弟の夫婦ということになるのだが、領土内で不埒なことをしている若者に目をつける。彼女はかなり潔癖なところがあるようで、とにかくこの若者の行為が鼻持ちならない。ちなみに、この若者が先述の性欲旺盛男である。彼女は彼を自分の召使として城館に招き入れる。召使といいながら、実際は彼女の性のお相手をさせられるのだが。

 それよりも、性欲旺盛男はビックリである。死んだはずの親友がそこで生きているからである。彼は真相を探ろうとマッドサイエンティストの研究室に足を踏み入れる。

 ほとんど荒唐無稽のようなお話である。その他に二人の子供が登場する。兄妹(もしくは姉弟)である。この映画の何が一番怖いかと言うと、マッドサイエンティストでもなければいちいち飛び出す臓物でもない。この子たちの無表情さである。この子たちもやがて親たちのようになるのだろうなという予感をさせつつ映画は終わる。

 

 さて、作品全体に流れる陰鬱なトーンは何だろう。ショッキングなシーンでさえ淡々と流れるし、人が死んでも事件にもならないなんて。この虚無的な世界観は何だろうか。

 その虚無感は二人の若者に代表される。彼らは生きる目的がないのだ。一人は生を半ば諦めている(修道院男)、もう一人は刺激だけを求めている(性欲旺盛男)ようだ。夢とか理想とか野望とかもなく、打ち込む何かがあるわけでもなく、ただ人生に退屈している人たちであるように見えてくる。

 同じことは城館に暮らす面々にも言えそうだ。マッドサイエンティストの方は、もはや現実の世界になんら期待するものはなく、自分が創造する来るべき世界に生きている。助手は、人造人間の女のために手伝ってきただけであって、主人の計画なんてどうでもいいのだ。彼もまた生の意味を失っているのかもしれない。妻(姉)は完璧であろうとするが、それも自分の空虚をごまかすためのものであるかもしれない。姉と弟との近親姦は、二人が世界から断絶していることを意味しているようにも思えてくる。彼らはみな人生に退屈しているのだ。そして、この退屈は子供たちにも伝染している。子供たちは無表情、無感情に人形の体を切開し、首をちょん切る。

 彼らはみな生が空虚なのだ。自分自身が空っぽなのだ。その空っぽの空間をひたすら何かで埋め合わせ、一応の人間としての体裁を取り繕っているだけなのかもしれない。そんな印象を受けてしまう。彼らはみんなフランケンシュタインなのだ。

 

 さて、作品自体であるが、いくつか思うところを書いて残しておこう。1973年という古い映画だけれど、19世紀頃のゴシック風の雰囲気がある。舞台が古びた城館ということもあるだろうが、そういう古びた雰囲気が漂っている感じがして、個人的にはそこにも魅力を感じている。それでいて前衛的と言っていいのか、独特な、退廃的なムードも漂う。

 人間の汚い部分を見たいという人にはお勧めだけれど、ごく普通の感覚をお持ちの方にはお勧めしない。内容や描写はけっこうなエロ・グロなのに、登場する若者たちがグッド・ルッキング・ガイというアンバランスさも印象に残る。

 アンディ・ウォホールの名前がなければB級以下の作品に入れられてしまうかもしれない。もしくは、既成の概念に捕らわれず、社会通念にも縛られず、映画の常識も省みず、新人の映画製作者が情熱だけで作った映画と評価されそうな作品だ。

 繰り返すけど、僕はこの映画、わりと良かったと感じている。でも、人にはお勧めしない。この映画は気に入ったけれど、僕はヘンタイではない(多分)。

 

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

 

 

 

 

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