4月30日(金):暗澹たる気持ちで
4月もお終わりだ。GW中であるが、今年も抑制的に過ごすことが半ば強制されている。僕個人はGWは関係ないけれど、それを楽しみにしている人たちにとっては苦しいことだろう。
それでも五輪は開催すると言っているのだからマトモじゃない。五輪のために看護師らを派遣するように国は求めているのだけれど、それに対して猛反発が起きているのは当然である。ただでさえ医療が逼迫しているのに、さらに人出をイベントのために割かなければならないのか。その他のイベントは軒並み中止されているというのにである。
しばしば、コロナに対する日本政府の在り方は戦前の日本とそっくりだという指摘がなされる。同盟国であったイタリアとドイツがすでに降伏しているのに日本だけは戦争を続けようとした。原爆は日本に現実をつきつけることになった。この原爆に相当するものが五輪となるのではないかと僕は思っている。
五輪は一大感染イベントであるとアメリカでは報道されている。選手が感染する危険を考慮して参加を辞退した北朝鮮はまともな判断をしている。現実が見えていないのは日本だけではないか。正確に言えば、日本政府と一部の人たちだけである。
国民も世論も大多数が中止なり延期なりを求めているし、諸外国も同じような意見を持つ人たちが多い。国民の声がここまで届かない政府は異常である。
仮に五輪を開催したとしよう。たくさんの医療従事者がそこに投入されることによって、国民に対しての医療が手薄になり、感染者、重症者、死者が激増するだろう。海外からは何万もの人たちが来日する。日本滞在中に彼らが感染してしまったら、日本はその責任を追及されることになる。日本国民に対してさえ補償が十分ではないのに、海外選手の補償をしなければならなくなる。どこまでも責任を追及されてしまうことになる。
政権交代は望ましいことである。新しい政権が同じ過ちを繰り返さないならばである。しかし、まともな政権が失敗した場合と、異常な政権が失敗した場合とでは、新政権の態度は大きく異なると僕は思う。前者の場合、前政権の失敗を真摯に学ぶだろうと思うが、後者の場合、例えば前政権はまともじゃなかったからああいう失敗をしたのだなどと考え、その失敗から学ぶことをしないかもしれない。要するに、失敗が政策に帰属されるのではなく、前政権に帰属されてしまうということだ。
いずれにしても、このコロナ対策から何を学ぶべきであるか、それが本当に見えている政権でなければ改善は難しいだろうと僕は考えている。日本は致命的である。
五輪に関しては、昨年、延期を決めた時に中止の決定をするべきであった。本来、開催か中止かの二者択一しかないルールなのに、スポーツマンシップに反して、反則ルールを採択したのだ。日本は根本から間違っている。日本は決してオリンピックをやってはいけない国なのだ。
僕はコロナの方を真剣に考えている。それだけにオリンピックが憎い。あんなものがなければ日本のコロナ対策ももっと様相が変わっていただろうに。もっとまともな対策も立てられただろうにとも思う。
コロナ死者数は1万人を超した。この先、どれだけの人が命を落としていくだろうか。暗澹たる気持ちで日々を生きている。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)