4月12日(月):疲労でダウン
今日はひどく具合が悪い。朝起きた時から体が鉛のような重さだった。コロナによる倦怠感か、とも思ったが、検温すると平熱だった。一時的な疲労感であろうか。僕は大事をとって午前中は寝て過ごす。
今日、仕事も予定も入っていないのは却って幸いだった。夜、しっかり寝たはずなのに、それにもかかわらず熟睡できた。やはり疲労なのだろうか。
午後からは起きて活動することができるようになった。倦怠感もかなりましになった。体が動くようになれば十分だ。活動開始といこう。
いや、もう少し大事をとって休んだ方がいいのではないかという考えも過ぎる。しかし、寝たきり状態だけは避けたい。脚力がますます弱まるだろうからだ。
とにかく、あまり遠くには行かないことにして、近所を歩くことにした。足の痛みは若干感じられるが、特に歩行に支障をきたすほどではない。それに、歩いているとだんだん調子が戻ってくる。
夕方ころに帰宅する。テレビを見る。昔、友達に録画してもらったDVDを見る。2013年から15年ころにかけてのお笑い番組だ。もう処分しようと思っているので、その前にもう一度だけ鑑賞して、友達との思い出を蘇らせておこうと思う。モノは捨ててもいいのだけれど、いろんな思い出だけは残しておきたい。思い出を残しておくとは、記憶を新たにしておくということだ。番組を観ながら、ああいうことがあったな、こういうことを言い合ったななんてことも思い出す。それでいいのだ。
夜は早目に寝る。22時頃には就眠していた。こんなに早く寝るのは久しぶりな感じだ。朝、あれだけ寝たのに、夜もぐっすり眠れるのが不思議だ。眠っているのにどうしてこのブログが書けるのか不思議に思う人もあるかもしれなけれいど、実は翌日の朝にこれを書いている。本当は昨日のことを書いているわけだ。今日の日付で書いても良かったのだけれど、今日は今日で書くつもりなので、昨日の日付で、昨日のことだけを書く。
未来に希望を失わないでいるが、その前に苦しい時代を通過しなければならないと思っている。その苦しい時代はまだ始まっていないのだ。その入り口に立っているようなもので、本当に苦しい時代がこれから始まると僕は覚悟している。
コロナは世界経済に大打撃を与える。日本は特にそうだ。オリンピックなんて事情を抱えているせいで猶更である。コロナ対策なんてひどいものである。
今日から京都でも時短営業がなされる。効果は限定的なのに、経済的打撃は大きいというひどい対策だ。大阪では見回り隊が結成されて飲食店を見回っているそうだけれど、意味があるとも思えない。感染症対策をしている店に出向いて、感染症対策ができているかをチェックするだけのことである。そして、20時以降に開店するようなお店は対象外になってしまう。本当はそういうお店こそ見回りが必要なんじゃないかという気もしている。従って、「まん防」以前に見回りはやっておかなければならなかたのだ。すべての飲食店で感染症対策がしっかりできているかをチェックするのであれば、それは平常時においてなされなければならなかったのだ。宣言下でそんなことをやっても無意味さしか感じられない。チェックできない店、チェックから漏れる店がたくさんあるからだ。
高齢者のワクチン接種も一部では始まったみたいだ。医療従事者の接種も済んでいないのに、高齢者接種が始まったわけであるが、それでもわずかの人が接種できるだけのものだ。東京の八王子だったかな、接種対象者15万人に対して2000人分のワクチンしかないというのだから、対象者の9割以上が今回は接種できない状況である。やはりひどいもんだ。
オリンピックなんて即刻中止して、費用をコロナ対策に回し、とにかく検査を拡充して感染者の早期発見をやるべきである。この検査も民間が率先してやっている状態なので、政府も少しは国の威信を回復することを考えてもよさそうなものである。
ワクチン接種を受けるよりも前に、検査を受けられるようになる前に、感染して死亡してしまうかもしれない。現にそういう人が何人もおられるのだ。援助の手が間に合うなどと希望的観測は捨てておくに越したことはない。
(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)