4月10日:生あることに感謝

4月10日(土):生あることに感謝

 今日はなんかしんどい。夕方までは予定が入っているので、それが終了したら今日は速やかに帰宅しようかとも思っていた。それなのに、本日最後の仕事を終えてからダラダラと過ごしているうちにいつもと変わらない時間になってしまった。ついでだから今日のブログを書いてから帰ろう。

 今日は問い合わせの電話をいただいた。予約にはつながらなかったのだけれど、別に構わない。ウチのことが何らかの形で認知され、電話をかける行動につながっているのであれば、それでいい。

 その問い合わせなんだけれど、女性のカウンセラーがいるかということだった。その方は女性カウンセラーを求めているらしい。それは構わないとしても、そのカウンセラーとやていけるかどうかで判断するのがよろしいかと僕は思うのだが、いちいちそんなことを言うことは控えた。

 その方が女性カウンセラーを求めるのは自由であるまあ、女性カウンセラーを見つけたとしても、この人は上手くいかないような気がしている。そうなのだ。その思いがあるのでこの人のことが気にかかってしょうがないのだ。

 カウンセリングが功を奏する人としない人とがあるんだけれど、両者はやってることが根本的に違うのだ。上手く行かない人はこういうことをする(又はしない)というのがいくつもある。もちろん、僕の主観的なリストでしかないけれど、今日のその人は三つほど該当するものがあった。

 いちいち書かないでおこう。二つ目のものはその人の精神的成熟の度合い如何によってはマイナスとならないものであるが、一応、考慮しておくことにする。三つ目のものは、それが一時的なものであればそれほど大きなマイナスとなるものではないけれど、その人のパーソナリティに根付いている傾向であるとすればマイナスとなってしまうものだ。一つ目のものがけっこう重要だ。というのは、ここにはその人における明らかな矛盾が見られるからである。

 まあ、縁のない人のことはそれ以上考えないことにしよう。

 今日、来られたクライアントの一人は次回はお越しになられないだろう。一応、予約はお取りになられたけれど、きっとそれまでにキャンセルの電話が入るだろう。そして、しばらく間を置いたら、また来ることだろう。毎回そのパターンである。

 来た時だけ、というか面接の時だけ、僕はしっかり仕事をする。僕の仕事は面接にあるのだから、クライアントその他の人の日常生活のことには一切触れる必要もないのだ。僕は面接をする、面接の時だけ僕はカウンセラーとして生きる。

 なにはともあれ、今日も一日無事に生きることができた。生あることに今は感謝しよう。いつ、人生が中断されるとも限らない中で、どうにか一日を終えることができるというのは幸せなことだ。そして、なんとかこの生を明日につなげていかなければならない。生きるというのは並大抵のことではないのだ。

 僕の住む京都も「まん防」が適用されることになった。感染者が増えているからだけれど、この処置にどれほどの効果があるのかは不明である。一般の人に危機感が薄れているといわれているけれど、危機感の薄い対策しかしない方にも一因があるようにも思う。いずれにしても、来週からは京都の夜も真っ暗けになりそうだ。

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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