4月9日:新入社員と下積み経験

4月9日(金):新入社員と下積み経験

 今朝のワイドショーを見て思うところを述べようと思う。

 4月に入社した新入社員の中には一週間で退職してしまう人もあるようだ。事情はそれぞれあるだろう。それに、若い人だけを責めるつもりはない。そこには働き続けることが困難な環境などもあるだろうからだ。

 今年もコロナ禍のために、通常なら現地で行われる諸々のことがリモートでなされた。面接も入社式も全部リモートだったという人もあるそうだ。リモートの欠点はそれだ。自分がその集団の一員であるという感覚が得られないことである。これは実際に人が集まって、一緒に活動することで形成される感覚だと思う。この意味でも「場」というものがとても大事であるということが窺われる。

 研修等もリモートでやると、研修する側も把握できない部分が出てくるのではないかと思う。誰がどこまで分かっているのか、誰にどこまで教えたのか、しっかり把握できなくて、漏れが生じてしまうことも起こり得るのではないかと思う。全員がリモートに慣れているわけではないので、こういうことはまだ今後とも起きると思っておく方がよさそうに僕は思う。

 次は若い人に心得てほしいことなんだけれど、企業は必ずブラックなりダークな部分を持っているということである。背が伸びれば影も伸びるように、業績を伸ばす会社は負の部分も大きくなるのだ。企業に対して完全なクリーンさを期待してはいけないと僕は思うのだ。

 そもそも人間が集まると、必ず黒い部分が生まれるものなのだ。家族の中でさえそれが生じてしまうのだ。親しい友人同士の間でもそれが生まれる。例えば、絶対にそれに触れてはいけないタブーとかが集団の間で生まれたりするわけだ。

 それに、人間は善人にもなれば悪人にもなる。少々悪の部分を他者の中にみてしまったとしても、必ずしもその人が悪人というわけでもないのだ。悪の部分をもう少し受け入れることができてほしいと僕は願う。

 僕のクライアントでも入社して間もないという人が何人もいた。彼らにはさまざまなつまずきがあるのだけれど、その一つに「思っていたのと違っていた」というものがある。イメージしていたのと違うから、会社がイヤになり、辞めてしまったりするわけだ。これに関して2,3点述べておこう。

 誰にとっても現実というものは思っているものとは違っているものなのだ。理想とかイメージしているものと現実には必ずズレがあるものであり、齟齬が生じるものである。自我の機能とはその調整をしていくことにあるので、自我を、心をもっと働かせていくことが求められるわけだ。

 また、その会社に入ってこういうことがしたいとか、いろんな希望を持つと思う。それはけっこうなことであるのだけれど、それが実現できるのは何年か先のことだと思ってほしいところである。やりたいことができるようになるのは30歳を超えてからと僕は考えている。中には20代のうちにそれを実現できる人もあるけれど、若い新入社員さんが思い描いているところのものを実現できるようになるのは30歳前後のことになると心得ておく方がよろしいかと思う。

 それでは20代にやることは無駄なのかというと、決してそうではない。20代に経験することを経験し、学ぶところを学んで、その下積みがあって30代でそれが実現できると僕は思う。社会的に成功しているとみなされている人たちのことを調べればわかると思うんだけれど、そういう人ほど下積みをきっちり積んでいるのだ。若い人の中には下積みをすっ飛ばそうとする人もある、基礎の部分が脆いからすぐ崩れてしまう。

 一例を挙げた方がいいかな。一流の大学をけっこう優秀な成績で卒業した娘さんが某企業に就職した。彼女の父親はこの企業の重役だった。重役の娘さんということで、その会社は彼女を「特別扱い」してしまったのだな。彼女は入社してすぐに役職の地位に就いた。それで彼女の仕事ぶりといったらどんなものだっただろうか。彼女は部下に厳しく命令し、厳しく叱責し、時に当たり散らし、時にあからさまな暴言を部下に吐く。要するにパワハラだのモラハラだののオンパレードになったわけだ。この部下の一人が僕のクライアントになったのだ。

 この娘さんを悪く言うのも止そう。おそらく、彼女自身はそんなに悪人でもないようである。ただ、彼女は右も左も本当は分かっていないのに、いきなり責任のある役職に就いてしまって、どうしていいか分からないだけなのだと思う。すぐにパニックに陥ってしまうのだと僕は思う。

 この娘さんは下積みを経験していないのだ。仕事の経験を積む前に責任の高い地位に就いてしまったわけで、言い換えれば、彼女はその地位に就くために必要な準備ができていなかったということなんだ。部下の方(僕のクライアント)がよく言っていたことは、なんで彼女はそんなことが分からないのだろうという感想だった。経験を積めば分かることもあり、彼女には決定的にそこが欠けていたのだと思う。

 若い人たちに言いたい。将来、立派な仕事をしたいとか、自分の理想の仕事を達成したいとか、そう思うのであれば、若いうちに下積みを経験しておいてほしい。

 さて、「思っていたのと違った」という場合、どういうものを思い描いていたかを明確に意識化してほしいと思う。そして、もう一つ踏み込んで言うと、それを思い描くことになった動機に気づいておいて欲しいと願う。その動機は、今後、その人がどんな仕事をするにしても、その仕事上で遭遇する困難と関係するからである。

 例えば、将来は出世して部下を率いて仕事をしたいと思い描いている人が二人いるとしう。この二人をAさんBさんとしておこう。この理想の動機が両者で異なっているとしよう。仮に、Aさんは自分が見下されたくないからという動機があるとしよう。Bさんはを幸せにしたいからだという動機があるとしよう。

 二人が理想の状態になったとして、Aさんは部下が自分の陰口をたたいているということがやたらと気になるかもしれない。また、仕事をしていても、顧客やさらに上の人に頭を下げることに抵抗感を覚えることもあるかもしれない。Aさんの口癖は、目上や上司を尊敬しろといった内容のものが多くなるかもしれず、それがま部下との間に軋轢を生み出すかもしれない。

 Bさんは、部下が自分の影口を叩くことは気にならないかもしれないけれど、この職場がイヤになって退職する部下が現れるとひどく苦しむかもしれない。部下の結婚式なんかがあると、率先してあれこれするかもしれず、そうなると部下から煙たがられ、関係が上手くいかなくなるかもしれない。ライバル会社に簡単に追い抜かれてしまい、業績を上げられないということで苦悩する(つまり部下たちを幸せにできない自分を体験してしまう)ようになるかもしれない。

 AさんもBさんも同じような理想を描いているとしても、その動機が異なっているために、両者はそれぞれ別種の困難や苦悩を持つようになるわけなんだけれど、肝心な点は、その動機にどれだけ気づいているかということにあると僕は思う。ただ、この動機はさまざまな経験の集積によって形成されているものであり、さまざまな感情が輻輳していたり、複数の動機が絡み合っていたりするので、それを意識化するというのもなかなか困難な作業である。意識化できている領域が広い方がいいと僕は思うのである。意識化されている領域が狭いほど、当人は何で自分がこれで苦しむのか理解に苦しむのである。

 さて、まとまりもなく長々と綴ってきたけれど、この辺にしておこう。僕のような中年は若い人にはウケないものだ。若い人がこのブログを読んだら「ウザイ」と思われることだろう。

(寺戸順司-高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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