12年目コラム(54):作業所の思い出(3)

 作業所の所長さんのK先生、それから所員のM君のことを書いてきた。ここでいよいよH君の登場である。
 精神障害者とは、ある部分ではとても天才的である。我々凡人が及びもつかないような能力を有していることもある。作業所きっての天才H君にはその事実がとてもはっきり見て取れるように思われる。

 作業所の初日だった。初めての経験で僕は緊張しまくっていた。午後から散歩に行くということになった。K先生が「寺戸君はH君をお願い」と、H君の付き添いに僕を任命したのだ。
 困ったなと内心思った。ここまでは全体だったけど、ここから一対一になるんだと思うと、よけいに緊張した。
 取りあえず、僕はH君と手をつないで、一緒に並んで歩く。でも、僕の心配は無用だった。H君の方から僕にいろんなことを訊いてくるからだ。僕はそれに答えるだけで良い。
 質問されるのは、僕に関するさまざまなことだ。どこの学校に行ってるのとか、どこに住んでるのとか、今日は何時に家を出たのとかだ。僕はその一つ一つに答える。時には、その質問さっきもしたぞというのがあっても、僕は気にせず、質問されたことに答える。
 散歩から帰った時には、別の意味で疲れた。質問攻めに疲れてしまったのだ。それも10や20の質問ではないのだ。100や200個も質問されるのだ。でも、気まずい空気が流れるよりかはましだったかもしれない。

 そうして初日はなんとかやり過ごしたのであるが、翌週、二回目のボランティアに向かった。
 H君は僕を覚えていた。それどころか「あなたは寺戸さんで、どこの学校に通っていて、どこに住んでいて、家を何時に出て」と、先週質問されたことを彼はすべて覚えているのだ。覚えているだけでなく、復唱までしているのだ。
 僕はものすごくびっくりした。僕にあれだけの質問をして、それがすべて彼の頭の中に納まっているのだ。まるでコンピューターのようだった。そこには一つの洩れもなかっただろうと思う。「思う」というのは、僕自身、何をどれだけ質問されたかなんて、すべて覚えているわけがないからである。
 H君はすべて頭に入っていた。前回、決着のつかなかった質問があったのだけど、案の定、そのくだりも繰り返された。ちなみに、このくだりはその後も何度も繰り返されたのだけど。
 そうして、今週、さらに彼は新しいことを頭に入れる。それが次週において復唱されるのだ。昨日学んだことも覚えられない僕からすると、すごい能力だと感嘆するばかりだった。

 これは個人的な見解だけど、H君のように、聴きとった情報がすべて記憶されるというのは確かにすごいことだけど、人間、やはり適度に忘れることもできなければならないんじゃないかと思う。あれだけ記憶してしまうH君にとっては、人生はなかなか生き辛いんじゃないかとさえ、僕は思ってしまう。
 H君とも、もう20年以上、会っていない。もし、今会えば、彼は昨日覚えたことのように、僕の返答を復唱するんじゃないだろうか。

 H君もM君も、その他の所員さんたちも、みないい人ばかりだった。週に1回のボランティアだったので、そういう感想しか残らないのかもしれないけど、僕にとっては悪くない経験だった。
 H君は大人しい人だった。M君もそうなんだけど、M君はもっと活動的なところがあった。H君には身体的な問題もあって、M君ほどの活動性は見られなかった。静かに座しているというタイプという印象がH君にはある。

 思い出深い人たちがまだまだいるのだけど、この作業所シリーズもここで筆を置こう。
 僕は、一応まだ大学生だった。大学の最後の年だった。僕も若かった。
 以後、僕はこの作業所の話をあまり人にはしなかった。交際していたYさんや女性友達も知らないのではないかと思う。何て言うのか、あまり真面目なボランティアではなかったし、なんの経験もなしにやって、失敗ばっかりやらかしたような気がしているのである。随分、皆さんの足を引っ張ったんじゃないかと思う。だから、どうも人に話すのが恥ずかしいのである。
 でも、皆さん、よくこんな私に辛抱してくれたものだと思う。振り返ると、いい人たちとの出会いがたくさんあったなという気持ちになる。

(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)

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