12年目コラム(53):作業所の思い出(2)
精神障害者たちの作業所の思い出を続けよう。前回は所長さんのK先生のことを中心に書いたけど、今回は所員だったM君のことを取り上げようと思う。
M君、当然男性なのだけど、自閉症だった。とにかく体を動かすのが好きな人だった。
朝、全員揃うと、グランドで朝の体操をする。体操を終えると、M君はピューッとどこかに走って行ってしまう。しばらくするとM君が走って帰ってくる。M君は毎日これをやっているそうだ。
作業所では毎日何かとやることがある。夕方、作業を終えると、M君は再びグランドに出て、体を動かす。何かダンスのような動きだった。きっと、M君の中では決まったダンスがあるのだろう。
作業所に行って、現実に自閉症の人たちと接するようになって、僕は自閉症に関する本を何冊か読んだ。コミュニケーションが難しく、オウム返しをするなんてことが、どの本にも書いてある。
M君と会話してみると、確かにオウム返しが来る。なるほど、自閉症の本に書いてあることが正しいなと思った。
ある時、朝の体操をやって、いつものようにM君が走り出した。「僕も一緒に行く」と、僕はM君について走った。こう見えても中学、高校と陸上部で中長距離の選手だった人間だ。現役から離れていたとは言え、M君について走るくらい、やれないことはなかった。
グランドを出ると、M君は住宅街を山の方に向かって走る。天王山だ。そして、天王山のふもとの道の電柱をタッチして、引き返すのだ。M君は、朝の体操の後、毎日、このコースを走っているのだ。
後日、訊かれたことがある。「M君って、毎朝、どこまで走っているの」って。それを訊かれると、僕は「ヒ・ミ・ツ」と言ってごまかす。そうなのだ。M君がどこを走るのか、誰も知らないのだ。だから、これは僕とM君だけの秘密にしようと決めたのだ。
翌週も、M君が走り出すと、一緒に行くと言って僕も追走する。不思議とM君は嫌がらないのだ。M君には追走者の僕が見えているのかどうか、それさえはっきりしなかった。
毎回、M君の後ろを僕は走る。M君の背中を見て走るわけだ。陸上部での経験がモノを言うのだけど、M君に追走することは、僕には苦ではなかった。
ある時、ちょっといたずら心を起こした僕は、ヒョイッとM君を追い抜いた。M君の前を走ったのだ。するとM君ががむしゃらになって僕を追い抜く。僕が前を走るのは気に入らないらしい。それで、しばらくM君の後ろを走る。また、ヒョイッとM君の前に出る。M君は必死になって僕を追い抜く。面白いと僕は思った。
その後は毎回、M君を二度追い抜くということをやった。往路に一回、復路にもう一回と決めていた。M君は僕に追い抜かれるたびに必死に走って僕を追い越す。そして、折り返し点の電柱を、M君が先にタッチして、続いて僕がタッチする。それも決まりだった。M君と僕との間で暗黙のルールが出来上がったみたいで、なんか嬉しかった。
ずっとM君の後ろを追走していた時は、僕がM君に意識されているかどうか分からなかった。僕が追い抜いて初めて、M君が追走者をすごく意識しているっていうことが僕には分かったのだ。それも嬉しかった。
その時、僕はふと思った。自閉症の本では、自閉症の人はコミュニケーションが取れないなんてことが書いてあった。でも、僕がM君を追い抜く、M君が必死になって僕を追い越す、これはれっきとしたコミュニケーションなのだ。僕は、専門書なんて案外当てにならんものだなと思ったし、自閉症の人がコミュニケーション取れないなんていうのは嘘だと信じている。コミュニケーションの手段を変えれば、自閉症の人とのコミュニケーションは可能なのだと、今でもそう信じているのだ。
今、僕は京都から高槻まで毎朝通勤している。大山崎を過ぎたところで、かつてM君と走った道を電車が通過する。折り返し点の電柱は見えないけど、この道をM君と走ったんだなと、時々だけど、今でも僕は思い出す。
天王山にも何度か登ったし、大山崎近辺を散策したこともある。そういう時、必ず寄るところがある。そう、折り返し点の電柱である。わざわざ寄り道して、それをタッチしてから帰る。
M君も今頃はどうしているだろうか。どこか新しい所に行ったかもしれない。それでも、僕は信じている。M君はそこでも自分のコースを作って、毎朝走っていると。彼は自閉症だ。自閉症だからこそ、今も変わらず走っていると僕は信じている。
一方、僕の方はと言うと、サッパリである。ぶくぶく太って、足も怪我して、とても走るどころじゃない。M君の方が立派だ。
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)