12年目コラム(45):Op6「断った事例」
来る者は拒まずの姿勢で仕事をしてきた。でも、最近は僕が好きになれそうにないとか、一緒にやっていく自信がない相手には、申し訳ないが断るようにしている。
私が断った例を挙げようと思う。
問い合わせをしてきたのは男性だった。彼はいきなり自分の状況をダラダラと語り始めた。
彼がカウンセリングの枠を守ってもらえるかどうか、私は不安を覚える。
彼の状況というのは、彼は学生で、交際している女性を妊娠させてしまったということだった。
周囲の人たちは子供を堕ろすように言ってるようだ。その女性がどのように考えているかは不明である。ただ、その結論をこの4,5日のうちに出さなければならないということなのだ。
彼自身はどうしていいか分からないと言う。そして、自分の気持ちを整理したいということを訴える。
その上で、いろんな人の事例なんかを通して助言して欲しいのだと言う。
正直に言おう、私は彼の望んでいるものを提供できない。私はそれを彼に伝える。
彼は意外だという口ぶりだった。
ところで、これは実は結果が出ている話なのだ。彼が父親となって、女性と子供を養っていくか、女性を説得して堕胎するかだけのことなのだ。
どちらにしても彼の責任が問われる。ただ、彼はそういう責任は取りたくないのだろう。
それだけではない。女性が妊娠するということを彼はどのように理解しているだろうか。その女性の一生の重みを彼は感じることがあるだろうか。どこか自分だけが助かろうとしているような印象を私は受ける。
だから、恐らく、彼はカウンセリングのような作業には耐えられないだろうと思う。もし、私のカウンセリングを受ければ、彼は自分の責任をさらに感じるようになるだろうと思う。
もし、女性に対して責任を取ろうとするなら、彼は大学を辞めてでも働いて家族を養うだろう。彼はそれはしたくないようだ。自分だけ助かろうというのはそういう意味だ。
彼とその女性との関係はよく分からない。どの程度の交際があったのかは不明だからだ。
彼が妊娠させたというのも、それが本当かどうかは定かではない。でも、一応、彼の述べているところのものを事実とみなしてここでは考えている。
彼が自分の気持ちを整理したとして、それが何になるだろう。彼は決断を迫られているのだ。彼が気持ちを整理したいというのは、私には一つの逃避であるように思われた。
この数日内で決断しなければならないと彼は言っている。でも、妊娠の事実はもっと前からあったはずなのだ。どうしてその時に気持ちを整理しようとせず、直前になって駆け込もうとするのだろうか。私はここに逃避性を感じている。彼は回避しているのだ。
私は彼のために働く気にはなれなかった。どうしても真摯さが感じられないのだ。事の重大さを真剣に受け止めようとしないのだ。それだけの覇気が感じられないのだ。
それが彼の性格に由来していて、その性格を時間をかけてでも変えていこうとするなら、私は協力を惜しまないのであるが、彼の一大関心事は、数日後の決断をどうやり過ごすかにあったのではないかと思っている。
彼を引き受けると、この数日の間に立て続けに来談するだろうし、枠を破って電話をしきりとかけてきたりするだろうと思う。そして、その日が過ぎればパッタリ来なくなるという人ではないだろうか。過去にそういう人がいたのだけれど、彼にはどこかその人を思い出させるものがある。
(解説)
ちょっとしたコラムのような感じで書いたもの。一応、完結はしている。
私がどういう人を断るか、どういう理由で断るかを明記しようと思った。本項はその一例である
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)