4月2日(金):唯我独断的読書評~『ずぶとい青春』(荻原秀夫)
終戦直後の東京を舞台にした小説で、戦争を考える際に何か参考になるものがあるかと思い、古書店で叩き売りされていたのを買ったのだけれど、一年近く手付かず状態だった。せっかく買った本でもあるので、今回、読んでみた。
読んでみて、思っていたのと違っていた。戦後が舞台になっているとは言え、描かれるのは主人公がビジネスで成功するまでのストーリーだ。実はビジネス小説だったという。それでも内容は面白い。まあ、こういう小説を面白いなんて感じるのは僕が古い人間だからだろう。今ではウケない題材ではないかと思う。
チュウ公こと来栖忠義少年は戦争孤児となり、同じ戦争孤児たちと地下道で暮らしている。彼はそのリーダー格である。
彼らは輸送奉仕団に雇われて生活費を稼いでいる。これは乗客の代わりに順番待ちして切符を買うという代行業のような仕事で、客はけっこうな金額を払い、孤児たちにはわずかしか支払われない。要するに、上がピンハネしているということだ。
チュウ公は独立して新輸送奉仕団を立ち上げる。格安の料金で代行するということで繁盛する。面白くないのは、客をすべて持っていかれた輸送奉仕団の社長重村である。重村は刺客を送り込んで新輸送奉仕団を叩き潰そうとするが、チュウ公たちを助けたのが復員兵の大和勇吉だった。
ここから物語はチュウ公たちのグループと勇吉たちと二本柱で構成される。勇吉は闇市を開く。当然警察に目を付けられるが、大暴動を起こして、日ごろの鬱憤を晴らす。勇吉はなかなかカッコいい。
女たちも登場する。孤児となった女の子、アメリカ兵に体を売って稼ぐ女、はたまたアメリカ兵に襲われてしまう女など、不遇な境遇で生きようとする逞しい姿が感じられる。
それだけでなく、豪快な天涯和尚、日系アメリカ人と詐称して甘い汁を吸おうとする小悪党の柳平(一番悲惨な目に遭うキャラだ)など、魅力的な人物も登場する。
物語の前半は上記の人々が活動する。動きの多い小説で、時に痛快でもある。勇吉の過去とチュウ公との不思議な因縁も徐々に明らかにされていく。
後半はチュウ公の物語となる。彼は吉原の遊郭に引き抜きされたのだ。彼はその遊郭を切り盛りしていくのだけれど、時代は変わり、新しい波が起きつつある中で、吉原が取り残されることを危惧して彼は一大新事業に乗り出す。困難や妨害が立ちはだかっても、その都度、度胸と機転とで切り抜けていく。その奮闘ぶりもまた面白く、痛快でもある。
この後半は後半で魅力的な人物が登場する。仕事もなくくさっていたが一たび仕事を与えられると活き活きしだす大工の棟梁鹿六をはじめ、大角組の女親分とら、とらに思いを寄せる大吉親分などが、じつに活発に動いて物語を展開させていく。その代わり、前半で活躍した人たちはどうなったのかと心配にもなるが、過去の人は過去に置いておこうという作者の意図だろうか。
最後は7年ぶりに勇吉と再会し、チュウ公は吉原を去り、二人で何か大きなことをやらかしていくであろうことを予期させつつ、物語は静かに幕を閉じる。
本作のような、苦労の末に立身出世していく物語は、昭和30年代や40年代頃にはウケていただろうけれど、現代では時代遅れの小説とみなされるかもしれない。今はこういうのは流行らないだろうと思う。でも、たまにはその時代に流行った小説を読んでみるのも悪くないかもしれない。
僕が魅力を感じているのは、とにかく登場人物たちがみんなエネルギッシュだというところだ。悪役の柳平でさえ、生並びに快楽にそこまで執念を燃やすのだ。みんな生きることに必死である。なんとしても生き抜こうというエネルギーが彼らから感じられる。古い人なら昔の日本人にはそういうエネルギーがあったと評するかもしれない。確かにそうだろう。だから、かつて僕たちにあったエネルギーを、小説を通してであれ、再び感じ取ることも有益なことではないかと思う次第である。
本書の唯我独断的読書評価は4つ星だ。全く期待せずに読み始めただけに採点が甘くなっているかもしれないけれど、十分面白い作品だと思う。
<テキスト>
『ずぶとい青春』(荻原秀夫 著) 春陽堂
(寺戸順司―高槻カウンセリングセンター代表・カウンセラー)